~2024年5月30日から2024年8月20日までのヨーロッパ周辺青春旅行記~
コブレンツには、5月31日(金)、6月2日(日)~6月5日(水)の1泊飛んで3泊4日滞在しました。(6月1日はコブレンツを起点にニュルブルクリンクへ24時間耐久レースを見に行ったために飛び石のような滞在をしています。)
まえがき
2024年6月6日、この日はコブレンツから次の目的地シュタットガルトに移動します。と、その前にベートーヴェンの母親の生家「マザー・ベートーヴェン・ハウス」に行ってきました。
この日の朝は15度で肌寒く、ドイツの6月はもう少し暖かいのでは??と思いながら、荷物がかさばるからと1着しか持ってきていないパーカーを羽織ります。2日目に訪れたニュルブルクリンクでオシャレ着用に購入したパーカーがこの後大活躍するのですが、それにしても2024年のヨーロッパの夏は寒かった。例年まれにみる冷夏だったようです。
マザー・ベートーヴェン・ハウスの概要
マザー・ベートーヴェン・ハウスの概要
マザー・ベートーヴェン・ハウスは、コブレンツのエーレンブライトシュタイン地区にある歴史的建造物で、ヴァンバッハ通り 204 番地にあります。この家は、作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの母親、マリア・マグダレーナ・ケヴェリヒが 1746 年に生まれた場所です。現在、この建物は博物館として一般に公開されており、音楽史や地域の文化を紹介する貴重なスポットとなっています。
運営体制
マザー・ベートーヴェン・ハウスはコブレンツ市が所有し、ライン中流博物館がその運営を担っています。展示品の購入や寄付によってコレクションの充実が図られており、今後さらに魅力的な展示内容の拡充が期待されています。
出典:mutter-beethoven-hous.de visit-koblenz-de.
営業時間
日曜母と祝日 14時から18時
建物詳細
マザー・ベートーヴェン・ハウスは、17世紀に建てられた建物で、地上1階部分が石造り、上部は木骨組み構造となっています。建物は2階建てで、1階ではエーレンブライトシュタイン地区の歴史を、2階ではケヴェリヒ家やベートーヴェンの生涯に関連する展示が行われています。
館内の展示内容
マザー・ベートーヴェン・ハウスでは、1階はエーレンブライトシュタイン地区がかつて選帝侯の居住地だった歴史の紹介で、2階では、ケヴェリヒ家の家系や生活を中心とした展示が行われており、ベートーヴェンの青年期や友人関係、さらにはウィーンでの晩年に至るまで、作曲家の生涯を多角的に知ることができます。館内には音楽や文学に関する貴重な資料が多数展示されており、特に作家ゾフィー・フォン・ラ・ロッシュ、その孫で詩人のクレメンス・ブレンターノ、さらにその孫娘で詩人・小説家のベッティーナ・フォン・アルニムの資料が揃っています。さらに、コブレンツ生まれの著名なオペラ歌手ヘンリエッタ・ソンタグに関する展示もあります。
出典:mutter-beethoven-hous.de visit-koblenz-de.
建物の歴史と意義
この建物は、17世紀中頃のエーレンブライトシュタイン地区を代表するブルジョア建築であり、1975年に「ムッター・ベートーヴェン・ハウス内のベートーヴェン記念館」としてオープンしました。現在、コブレンツ市立博物館の一部として、ミッテルライン博物館が管理を行っています。展示内容は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの母親の生涯、作曲家とコブレンツとの関係、さらには18~19世紀におけるコブレンツの音楽文化を深く掘り下げています。
展示品には、グラフィックや絵画、日用品、楽器、アーカイブ資料が原本と複製で揃っており、20~21世紀におけるベートーヴェンやその母親の芸術的描写も見ることができます。また、単なる博物館としてだけでなく、関連する室内楽ホールを通じて音楽、芸術、文学、記念碑保存など、幅広い文化活動やイベントも行われています。展示品の購入や寄付を通じて、さらなる充実が図られている点も特徴的です。
出典:mutter-beethoven-hous.de visit-koblenz-de.
気になります
マリア・マグダレーナ・ケヴェリヒの生い立ち
マリア・マグダレーナ・ケヴェリヒの生涯
作曲家ベートーヴェンの母親である、マリア・マグダレーナ・ケヴェリヒは、1746年にライン川沿いのコブレンツ対岸の村(現在はコブレンツの一部)エーレンブライトシュタインで生まれました。父ヨハン・ハインリヒ・ケヴェリヒは、エーレンブライトシュタインのフィリップスブルク城でトリーア選帝侯の宮廷料理長を務めており、母はアンナ・クララ・ヴェストルフでした。6人兄弟の末っ子として生またマリアですが、幼少期に4人の兄弟を亡くすという環境で育ちました。兄弟の中には、後に司祭となるヨハン・ペーター・ケヴェリヒもいます。
最初の結婚と悲劇
1763年、マリアは17歳でトリーア大司教に仕えてるヨハン・ゲオルク・ライムと結婚します。しかし、夫ヨハンは結婚から2年後の1765年に32歳で亡くなり、わずか2年の短い結婚生活に幕を閉じました。二人の間に1764年に生まれた男児ヨハン・ペーター・アントン・レイムも同年に亡くなるという悲劇に見舞われます。
ベートヴェン家との出会い
1767年、22歳となったマリアはボンの聖レミギウス教会でヨハン・ファン・ベートヴェンと再婚します。ヨハンは当時27歳で、ボンのケルン選帝侯宮廷で音楽家として活動していました。彼の父は宮廷楽長であり、ヨハン自身も音楽家としての才能を持っていました。二人の結婚生活では7人の子供に恵まれ、そのうち2番目に生まれたのが、後に偉大な作曲家となるルードヴィヒ・ヴァン・ベートヴェンです。
早すぎる生涯
マリアの人生は順風満帆ではありませんでした。彼女は結婚生活の中で数々の困難に直面しながらも家族を支え続けましたが、1787年、結核により40歳という若さでこの世を去りました。このことは、当時16歳だったルードヴィヒに大きな影響を与え、彼の人生や音楽に深く刻まれることとなります。
出典:WIKIPEDIA マリア・マグダレーナ・ヴァン・ベートヴェン
家族を守り続けたマリアの奮闘
マリア・マグダレーナ・ケヴェリヒの2度目の結婚生活は、夫ヨハン・ファン・ベートヴェンとの間で多くの困難がありました。
1.ヨハンのアルコール依存
ヨハン・ファン・ベートヴェンは宮廷音楽家として働いていましたが、安定した収入を得ることが難しく、生活は困窮していました。そのうえ、ヨハンはアルコール依存症に陥り、家族を養う責任をは果たすことができず、マリアはそんな夫を支えながら家族を守るために奮闘していました。
2.子供たちの早世
マリアとヨハンの間に生まれた7人の子供のうち、成人したのはルードヴィヒ・ヴァン・ベートヴェンと弟カスパル・アントン・カール、末弟ヨハンの3人だけでした。その他の4人の子供たちは幼いころに亡くなり、親としてのマリアにとって大きな悲しみと精神的負担を強いる結果となりました。
3.家庭内の緊張と孤独
ヨハンのアルコール依存による家族への無関心と暴力的な態度は、家庭内での緊張を生みました。ルートヴィヒが音楽家としての教育を受ける際、ヨハンの期待と厳しい訓練は次第に虐待的なものになり、マリアはその間に子供たちを守りながら家庭を切り盛りするという非常に困難な状況に直面しました。
4.夫婦関係の苦悩
ヨハンとマリアの夫婦関係は愛情に満ちたものとは言い難く、むしろ経済的な不安やヨハンの問題行動によってマリアが支える側に回る形で成り立っていました。
出典:Weblio/wkpjaヨハン・ヴァン・ベートヴェン
ナチスはベートヴェンの出自に特に注目し、彼を「純粋なドイツ人の象徴」として位置づけて、特に「第9交響曲」の「歓喜の歌」を利用してナチズムの理想やプロパガンダを推進していたんですよね。ベートーヴェンの家系はフランドル地方(現在のベルギー)にルーツを持っているのですが、ドイツとの直接的なつながりは明確でははいので、現在も家系に関する研究は続いているようです。
以前、ドイツのボンにあるベートヴェン・ハウスを訪れましたが、そこにはベートヴェンの人房の髪の毛が展示してありました。現代のDNA鑑定などの化学の力で直ぐに判明しそうですが、まだその技術には達していないのかなぁ。
マザー・ベートーヴェン・ハウスへのアクセス方法
コブレンツ駅前バス停で、バスの運転手から「101 Koblenz-City → 106 KO-Arenberg」の乗車券を片道€3.90で購入しました。
約10分で「Koblenz-Ehrenbreitstein」に到着します。
私は7:56発のバスに乗りましたが一駅もバスが停車することはなかったのですが、各バス停に停車しても11分くらいかと思いますが、VRMのサイトで検索したところ、所要24分から33分の検索結果だったので、時期やルートによっては所要時間が変わるのでしょう。色々な検索アプリがあるので事前に要確認を。
参考リンク:VRM公式
バスは国道を走り、降車したバス停も国道沿いにありました。降りた先には外交官の建物があり、その写真を撮影しようと近くの横断歩道を渡ると、その先に見えたのは、外交官の建物の後ろにそびえるエーレンブライトシュタイン要塞。感動する間もなく、目的地のマザー・ベートーヴェン・ハウスがどこにあるのか分からず、案内標識も見当たりません。そこで、ようやくモバイルWi-Fiの出番です!長期滞在だったため、Wi-Fiはなるべく節約したかったんですよね…。グーグルマップで確認したところ、エーレンブライトシュタイン要塞とは反対方向。バスで来た道を戻ると、帰りの方角のバス停が見えたので、とりあえず時刻表を確認し、その先に見えた地下道に向かいました。長い通路を半信半疑で進むと、薄暗いトンネルが現れました。朝の時間帯とはいえ、この地下道を通るのに少し躊躇しましたが、歩いて横断歩道まで戻るのが面倒に感じたので、意を決して進みます。
正面がマザー・ベートーヴェン・ハウス
この周辺の住宅街には、カフェやショップが点在しています。この時は、朝が早いからなのか平日だったからなのか人気がありませんでした。マザー・ベートーヴェン・ハウスも平日は閉館なので観光客も見かけませんでした。
天気が良ければ少しお散歩して、カフェでお茶でもと思っていたのですが、この時の気温は15度。さらにお店も開いているような開いていないような活気のない雰囲気だったので断念しました。
滞在時間30分の短い旅
マザー・ベートーヴェン・ハウス観光のまとめ
朝7時半に宿泊施設を出発し、7時56分のバスに乗ってマザー・ベートーヴェン・ハウスを訪れ、8時43分のバスで帰ってくるという弾丸観光でした。この施設は日曜・祝日の午後のみ営業しているため、残念ながら中に入ることはできませんでした。(ドイツで日曜日に営業している施設というのも珍しいと思いますが。)ベートーヴェンゆかりの地であれば、もっと観光客で賑わってもよさそうですが、営利目的ではなく、歴史的価値の保存に重点を置いているのかもしれません。施設の所有者はコブレンツ市ですが、他にも観光名所が多いため、手が十分に回っていないのかも知れませんね。
帰りのバスでは、太陽が顔を出し始め、バスの窓から眺めるライン川はとても素敵でした。そういえば、ライン川は今回の旅で、バス、ケーブルカー、クルージング船、さらにはフランクフルトからの電車移動の際にも、いろいろな角度から楽しみました。
またいつか機会があれば、今度こそはマザー・ベートーヴェン・ハウスの中に足を踏み入れ、作曲家ベートーヴェンの歴史と息吹きを感じたいなと思います。
ベートーベン Beethoven オルゴール人形
電池使用 いいえ
主な素材 ポリエステル
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