~2024年5月30日から2024年8月20日までのヨーロッパ周辺青春旅行記~
2024年6月1日から2日に、ドイツのニュルブルクリンクサーキットに24時間耐久レースの観戦に行ってきました。
観戦チケットの購入
今回、初めてニュルブルクリンク24時間耐久レースの観戦に参加しましたが、そもそも目的地に無事たどり着けるかどうかが不安だったため、前売りチケットは購入せず、現地での購入を選びました。
レースは15時40分にフォーメーションラップがスタートしているので、現地時間17時40分を過ぎる頃にもなると、インフォセンターも空いていたのでチケットをすんなりと購入。チケットカウンターの横には「RACE TAXI」のチケットが販売していました。
チケット代(土日) €70.00(€1=\170.27 約12,000円)
さり気なく置いてある「AUDI ABT XGT」。
この車は、ABT Sportslineが開発した、公道走行が可能なスーパーカーで、ベースはAudi R8 GT2のレーシングカー。640馬力のパワーカーにも関わらず1,400kgの軽量車両で、99台限定生産。人生で一度は運転してみたいものです。
それにしても高級車が野ざらし状態で置いてあるとは…。
詳細Link:assettoworld.com
ホームストレート周辺の散歩
チケットを入手してレース音の聞こえる方向に歩き始めると、すぐにホームストレートが見えてきました。まだレースカーが近くで見える距離ではなかったので、さらに歩みを進めます。6月1日(土)のニュルブルクリンクは、朝から雨が降ったり止んだりを繰り返していたようですが、私が到着した18時頃はどんよりとした曇り空が広がり、雨は降っていませんでした。それでもとにかく寒い!「ニュルブルクリンクウェザー」という言葉通り、天候が変わりやすい場所だと知っていましたが、気温は11度。夕方でこれだけ寒いと、夜中はどれほど冷え込むのか心配になりました。
歩いていると、タイミングよくピットインの瞬間に遭遇し、ピットアウトするまでしばらく生のロリポップマンを見つめていました。動画も撮影したのですが、人だかりの隙間からの撮影だったため、前にいた2人がお食事中だったこともあり、映像としては残念なものになりましたが、それでも、ロリポップマンの雄姿をしっかり目に焼き付けることができて嬉しかったです。
人の流れに身を任せながら、24時間を計測している掲示板、NGKシケイン、そしてシューマッハーSへと向かいます。
シューマッハーSでは、速度を落としながらコーナリングしていく車を眺めつつ、来てよかったと改めて感じていました。
ミニイベント広場に移動
しばらくシューマッハーSでレースを観戦し、次の場所へと移動しようと歩き出しました。
地図は無料提供されていたものを1つ入手しましたが、シャトルバス乗り場の位置が記載されておらず、結局ほとんど使わずにバックパックにしまい込みました、人の流れに従って歩いていると、グランプリコースと北コースの境目近辺に狭い歩道があり、壁にはニュルブルクリンクの案内版が。車通りの少ないタイミングを見計らい、向かい側に渡って激写しました。この通りは車の通行がそれなりにあり、歩道も一列でやっとすれ違えるほどの幅だったので、立ち止まると迷惑になるため、挙動不審になりつつもなんとか写真に収めることができました。
翻訳
「ニュルブルクリンクは単なるレースコースではなく、世界でも類を見ないテストコースでもあります。全長20.8kmのノルドシュライフェは、自動車業界およびサプライヤー業界のテストプログラムの重要な設備です。品質マーク「ニュルブルクリンガープロプト」は、自動車の初期の頃から品質と信頼性を表しており、今日でも、コンピュータープログラムは、車両に対するテストドライバーの個人的な印象を置き換えることはできません。ルートの負荷と多様性により、北コースの1キロメートルは通常の通路での約10キロメートルのテストに相当します。
この看板は前世紀半ばに広告として使用されていたオリジナルです。」
50年間のパートナーシップ
1958~2008
ジャーマンスポーツドライバーサークルe.V.(DSK)は、レーシング界のレジェンドであるヴォルフガング グラフ ベルゲ フォン トリップスと献身的なスポーツドライバーのグループによって1958年に設立されました。
DSKは、モータースポーツに胸を躍らせるすべての人々の利益を代表するというたゆまぬ努力を表しています。
こうしてDSKとニュルブルクリンクは、国内および国際レースの精神に基づいた50年にわたるパートナーシップを結びつけることになります。
ニュルブルクリンクGmbHゼネラルマネジャー、ヴァルター・カフィッツ博士、カール・フリードリッヒ・ツィーガーン博士、DSK社長 e.V.
ドイツスポーツドライバーサークルの50周年を記念して e.V.
ニュルブルクリンク 2008年5月
シューマッハーSから20分ほど歩いたところに、グッズショップと、ポルシェType64のレプリカ、ベンツ190E、AMG CクラスDTMが飾ってあるミニイベント広場に出ました。
Nurburgring
お店の前に並んでいた木箱には、車メーカーのワッペンがぎっしりと区切られて並べられていました。中には無関係なキャラクターのワッペンもあり、私はJUGARのワッペンとスヌーピーのワッペンを購入。本当は気になる車種のワッペンを全部買いたかったのですが、1枚€5.00(約852円)と少々お高め。後ろ髪を引かれながら、なぜか手に取ったのはスヌーピー。
店内には車関連のものがびっしり。ブリキの看板、マグカップ、ポスター、シールなど、所狭しと並べられていました。昨年のイギリス旅行でJUGARとPORSCHEのブリキ看板を購入したので、今回も欲しい看板があったのですが、なにせ怯えるほどの物価高と円安。しかも3ヶ月弱のヨーロッパ旅行は始まったばかり(まだ2日目!)。荷物は極力増やしたくないという思いとの葛藤の中、今回はワッペンとJUGARのステンレスカップだけに留めました。この時はまだ、もし後悔しそうであれば明日また買いにくればいいという風にも考えていました。
Type64のポルシェについて 出典:Sotheby’s
ポルシェは戦後のレース史で重要なブランドですが、そのルーツはポルシェ356より10年も前に遡ります。創設者のフェルディナンド・ポルシェは、ダイムラーやメルセデス・ベンツで経験を積み、1938年9月、フォルクスワーゲン・ビートルのスポーツカー版「タイプ114」を設計しました。しかし、この計画は、一般人のための自動車という全国的なビジョンからはほど遠く、ドイツ労働戦線委員会に拒否され、そのアイデアは棚上げされました。
2週間後、フォルクスワーゲンはポルシェに「タイプ114」同様のソリューションを開発するよう要請し、kdfワーゲンとして知られていたビートルのスポーツカーのタイプ60シャシーに適用される10番目の異なるデザインとなることから、「タイプ60K10」という新しいスポーツカーの開発を依頼しました。ポルシェは社内でこのプロジェクトをタイプ64として分類しました。このプロジェクトが後にポルシェ356や550などの有名なモデルにつながります。
プロファイルが非常に似ているタイプ114とタイプ64の外観図は、ポルシェのユニークなデザイン開発の初期の表現として見ることができます。タイプ64は、1939年春にベルリンからローマまでの940マイルのロードレースが同年9月に開催されるという発表によって、ポルシェは国家社会主義自動車軍団(NSKK)から3台のスポーツKdFフォルクスワーゲンを生産する契約を受け復活しました。(NSKKとは、ナチスの党機関のひとつで、ナチス自動車隊、ナチ自動車運転者団とも。出典:Wikipedia)。
しかし、第二次世界大戦が勃発したため、ベルリンからローマのレースが中止され、この先進的なレースカーは実際にレースを行うことはありませんでした。
タイプ64の最初の車(シャシー番号38/41)はフェルディナンド・ポルシェが所有していました。1939年9月末、ベルリンからローマのロードレースが中止になったにもかかわらず、フェルディナンド・ポルシェはテスト目的で2台目と3台目の車両を製造するよう会社に提案しました。そして2台目が3ヶ月後に完成します。
しかし、1台目のタイプ64はフェルディナンド・ポルシェの息子、フェリー・ポルシェがテストドライブ中に事故を起こし、大きなダメージを受けました。車体のいくつかのパーツは再利用できたため、それらのパーツを使って3台目が1940年6月に完成しました。
一方、2台目のタイプ64は第二次世界大戦中にドイツ軍によって押収され、NSKKによって使用されましたが、戦争の混乱の中で行方不明となり、後にアメリカ兵によって破壊されたとされています。
戦後、フェルディナンド・ポルシェは戦争犯罪の疑いでフランスに投獄されましたが、息子のフェリー・ポルシェが会社を引き継ぎ、3台のうち唯一生き残った3台目のタイプ64を定期的に使い続けました。
1947年、フェリー・ポルシェはタイプ64をリフレッシュし、ポルシェの新しいロゴを取り付けました。1948年のインスプルックでの地方レースでは、同社のスポーツカーモデルの宣伝に役立てるために行った公開デモンストレーションにおいて、タイプ64が追跡車として使用されました。このレースに参加していたオーストリアのプライベート レーシングドライバー、オットー・マテは、タイプ64の魅力に心を奪われ、1949年にポルシェは彼にこの車を販売することに同意しました。
マテは1934年にひどい事故で右腕が使えなくなっていたため、左手でシフト操作ができるようにポルシェを右ハンドルに改造し、その後、数多くのレースで勝利を収めました。
1953年以降、タイプ64はオットー・マテの個人博物館の目玉として展示され、ポルシェ社が遺産目的で何度も買い戻そうとしましたが、マテはそのたびに売却を拒否しました。1957年から1964年にかけて、ポルシェとPRの伝説的人物であるフリッツ・フシュケ・フォン・ハンシュタインは、新しく建築されたポルシェミュージアム用の車としてタイプ64を入手するため、マテとの交渉を続けました。保管されている40通を超える手紙の原本には、ポルシェがこの車を356や904ポルシェと交換しようとした証拠が残されています。しかし、マテはタイプ64を「祖先」として非常に大切にしていました。
オットー・マテは1995年に亡くなるまで46年間タイプ64を所有し続けました。その後、2年間の遺産整理を経て、この歴史的な車両はついに2番目の個人所有者に売却されました。新しい所有者であるトーマス・グルーバーは、オリジナルの911カレラRSモデルに関する専門書籍を執筆しているブランド愛好家であり、彼はタイプ64をオリジナリティを重視した修復を行いました。この車は1999年と2001年にオーストリアのエンスタールクラシックに、1999年にはカイザー通りとコッティング ブルンのラリーに、そして1998年と2003年にはグッドウッド フェスティバル オブ スピードに出場しました。
2008年、タイプ64はドイツ最大の自動車コレクションを持つ熱心な愛好家である委託者に売却され、彼の管理下で適切に保存されました。さらに、1938年または1940年に製造されたオリジナルのエンジンが再結合されました。2019年8月、タイプ64は競売大手サザビーズに出品され、最低でも20ミリオンドル(約30億円※2024年10月時点)の落札価格が見込まれていました。ポルシェ本社が落札するのではという噂がありましたが、蓋を開けて見たら最低価格に届くことなく競売は成立しませんでした。
2024年10月現在、サザビーズのサイトには「$19,000,000 – $22,000,000」と掲載されていることから、あれから5年、この伝説的な車両は依然として新しい所有者を待ち続けています。
後に、ポルシェミュージアムでタイプ64のレプリカを目にした際には、この車の歴史について何も知らなかったのですが、今こうしてその深い伝説を知ると、とても感慨深い気持ちになります。
ベンツも何の気どりもなく並んでいました。
遠くに見えるニュル城は、まるで近いようで遠いような存在。明日時間があれば行ってみようと思っていたのですが、まさかこの後、悲しみの雨が降り、急に冷え込むとは予想していませんでした。ニュルの天気は変わりやすいので、雨が降ってもやがて上がるだろうと楽観していたのですが。
そして霧のレースへと・・・
実は今回、ニュルブルクリンクの24時間耐久レースではキャンプサイトにテントを張ろうと思い、バックパックに寝袋とテントを持って行きました。テントサイトの料金は€20.00~だったと記憶していますが、最新の情報は公式サイトやキャンプサイトの運営サイトで確認するのをお勧めします。インフォメーションセンターで確認したところ、キャンプサイトの料金は各キャンプ場で支払う仕組みで、空き状況も現地スタッフに確認しないと分からないとのことでした。
ミニイベント広場から道路沿いに歩いて行くと、シャトルバスの停留所が見えてきました。バスは巡回しているものの、利用者が多いため停留所には常に人だかりができていました。ニュルブルクリンク周辺は一本道なので、待ちきれない人たちは次の停留所まで歩いていくことも多く、私も例外ではなく、タイミングよくバスが来た時以外はほとんど歩いていました。
キャンプサイトは道路から森の中に入った場所にあるため、シャトルバスの車窓からその様子は見えませんでしたが、朝の雨で足場が泥だらけになっていました。バスの中から2か所ほどキャンプサイトを見た時点で、私はキャンプを断念しました。というのも、私は普段からキャンプに出掛けているわけではなく、今回が初めてのチャレンジでテントを購入したため、この泥だらけの足場でテントを張るのも心配で、何より春・初夏用の寝袋では、冷え込むニュルブルクリンクの夜を乗り切れる自信がなくなったからです。
24時間耐久レースの観戦は初めての経験だったので、この後あんな事が起こるとは、この時は思ってもいませんでした。
ということで、徒歩とシャトルバスで1時間ほど北コース沿いを進み、森へ入る手前で引き返してグランプリコースのスタンドに戻ってきました。雨は降ったり止んだり、気温も下がっていきます。時刻は21時。
ようやく日が沈んだサマータイムの22時45分。持参した寝袋を腰から足元に巻き付けて暖を取りながら、「こんな暗闇の中でよく走れるな」という驚きと、「皆さんご安全に」と願う。すっかり冷え込んだニュルブルクリンクで、さらに冷え込むことに怯えながら、深まっていく霧。
正直なところ、霧が濃くなりすぎて、何が何やら全く見えない。白い靄の中にぼんやりと現れる光で、かろうじて車が走っているのが分かる程度。観客もまばらになり、スタンドに残っているのは、今日の宿無し組だけ。
そして誰もいなくなった…。
雨は中断するほどの大雨ではなかったものの、濃霧は一向に晴れる気配がなく、6月1日23時22分、赤旗が提示され、レースが中断されました。私はその時、朝8時まで中断するという情報を知らず、行く当てもなまま、霧が晴れるのをスタンドで待っていたのですが、周りにポツポツといた人たちは1組、また1組と去り、ついに私1人に!
掃除係の人が黙々と作業しているのを見守るうちに、だんだん居心地も悪くなり、とりあえず開いているお店にでも行こうとスタンドを後にしました。
幻想的といえばそうなんですが、まるでリアルなサイレントヒルのような状態。スタンドの下にはわずかに屋台の明かりが灯っていたのですが、閉店準備を始めていました。アルコールを飲むには寒すぎるし、何より人がまばらで、注文したら賄いを食べる従業員のように1人ポツンと居座ることになりそう。お店の人に残業させるのも申し訳なく感じ、そう考えると何も買わずに周辺に何かあるかも?と歩き回ってはみたものの、何にもない!
24時間耐久レースは初めてだったので、勝手が全くわからないのですが、屋台などは24時間営業しているものだと思っていたので、真っ暗で静まり返ったスタンド周辺に、焦りは膨らむばかり。
お店を通り過ぎ、大通りに向かって歩きはじめると、背後でスタンドの階段にロープが張られ、立ち入り禁止状態に。レースが中断したため、スタンドもクローズしたようです。もしもレースが続いていたら、スタンドで観戦できたはずですが、それも叶わず。周辺には飲食できる場所もなく、海外の夜道を避けている私にとって、不安が募る状況に追い込まれました。わずかでも人がいるところに向かって歩きましたが、明確な行き先があるわけでもなく、右往左往するばかり。
今からでも、キャンプサイトに行ってテントを張る方がいいのかとも考え、シャトルバスのルートを歩いたりもしましたが、時刻は午前1時。キャンプサイトを管理しているスタッフもいるかわかりません。現地に着いて誰もいない可能性、さらに次のシャトルバスが来るかもわからないなかで、森の中で1人佇むことになるのは危険しか感じないと判断し、一抹の期待を込めてインフォメーションセンターに戻りました。
ニュルブルクリンク・インフォメーションセンター館内
「戻ってみて良かった!」館内は自由に出入りできる状態。もちろん店員さんたちはいませんが、とりあえず夜を明かせる場所が見つかって安堵。他にも宿無し組みが何組かいて、寝袋で寝ている人や、オープンキッチンカフェのテーブル席のベンチで寝てる人など、様々な人が集まっていて、私もここで夜を明かすことに決めました。
昼間はあれだけ人で賑わっていた館内も、夜にはひっそりとしていて、展示物が撮影し放題になっていることもあり、最初はテンションが上がったものの、それも1時間ほどで終了。すべて見終わると、他にやることがなくなり、しかも私はこの時まだ、霧が晴れたらすぐにレースが再開されると思っていたので、外の様子をチラチラと見ては、なかなか晴れない霧を恨めしく感じていました。
とにかく寒く、館内に電気があるのは助かりましたが、吹き抜けの大きなホールの寒さは厳しい。外よりはましでしたが。
♦ インフォメーションセンター館内の散策写真ギャラリー ♦
<写真:Informationの翻訳>
ポルシェ911GT3レーシング
愛好家やコレクター向けに、ポルシェは2023年にラグナセカで開催されるレンシュボルトリユニオンで特別なサーキット車両を展示します。77台限定の911GT3Rレーシングは、992世代の911GT3Rをベースとしていますが、エンジン出力、重量、デザインの面でモータースポーツの厳しい条件を満たしており、協力なウイングを備えたリアに調整されています。エアエプロンは重量を軽減するために開いており、テクノロジーを明確に見ることができます。すべての安全装置は、適用されるFIAきかっくに準拠しています。大幅に再設計されたカーボンスキンの下には、換気量1リッターあたり最大148馬力の出力を持つ純粋なレーシングカーが組み込まれています。パワーはシーケンシャル6速ドッグギアボックスを介して伝達され、4速、5速、6速のギア比はGT3Rのデイトナセットアップに対応しています。シャーシはフロントにモダンなダブルウィッシュボーンレイアウトを持ち、マルチギアボックスを備えています。リンクデザインはリアアクスルで機能します。アルミニウム製モノブロックレーシングブレーキには、チタン製キャリアプレートを備えたブレーキパッドが装備されています。
Audi R8 Abt XGT:R8の最後を飾る公道仕様のレーシングカー
Audi R8 Abt XGTは、Audi R8 LMS GT2をベースにした公道仕様のレーシングカーです。アウディは1980年代からさまざまなレースカテゴリーにほぼ絶え間なく参戦し、21世紀においても最も勝利を収めた車の一部をアウディが製造してきました。この情熱を体現する市販車といえば、アウディの象徴的なモデルであるR8です。しかし、残念ながらこのR8は2023年モデルでその幕を下ろします。アウディが全車種の電動化を計画しているため、R8の象徴であるV10エンジンが失われることは確かです。
R8の最後のお別れとして、ドイツのチューニング会社Abt Sportslineが発表したAudi R8 Abt XGTは、99台のみの限定生産です。各車両は顧客の要望に応じてカスタマイズされ、オンラインコンフィグレーターを使用すれば、自分だけのカラーリングやシート、ダッシュボードの設定が可能で、まさに自分だけのオリジナルの一台を手に入れることができます。
XGTは、ポルシェ911 GT1のような車両の精神的な後継者であり、このプラットフォームができる限りの絶対的な頂点を示す一台限りのショーケースです。
参考:AudiWorld
そのお値段、59万8千ユーロ(約9,830万円)と言われております。
Ineos Grenadier Quartermaster:オフロード性能と日常の実用性を兼ね備えた頑丈なダブルキャブピックアップトラック
グレナディア・クォーターマスターのダブルキャブピックアップトラックは、英国の自動車メーカーであるイネオス・オートモーティブが製造したグレナディアファミリーの4X4車両の第二弾です。このモデルは、元のグレナディアの特性を活かしつつ、より多様な積載能力を兼ね備えています。オリジナルのグレナディアと同様に、クォーターマスターも頑丈で信頼性が高く、高性能と極限の実用性を兼ね備えています。
イオネス・オートモーティブは、2017年に設立され、主力製品として「グレナディア」というオフロード4X4車両を展開しています。この車両は、同社の会長であるジム・ラトクリフがシンプルで実用的な4X4の必要性を感じて企画したものであり、過酷な条件に対応するために設計されています。グレナディアは、優れたオフロード性能、耐久性、そして信頼性を提供することを目的としています。
参考:INEOS GRENADIER
そのお値段、北米市場での基本価格が8万8500ドル(約1,350万円)から始まり、トリムとオプションに応じて9万6,500ドル(1,470万円)まで上がり、カスタマイズによっては11万ドル以上(1,675万円)になる可能性も!
GR Yaris Rally2:圧倒的なパフォーマンスを誇るラリーカー
トヨタのGR Yaris Rally2は、モータースポーツの世界でその名を馳せるラリーカーで、このモデルは、ストリートバージョンのGR Yarisをベースに開発されており、ラリー競技に特化した数々の改良が施されています。強力な1.6リッターの3気筒ターボエンジンを搭載しており、軽量化されたボディと高剛性のシャシーは、コーナリング時の安定性と操作性を向上させています。
参考:モンスターマシン誕生の舞台裏
そのお値段、税別価格が国際ルールの上限の約26万ユーロ(4200万円)と言われております。
Ford Capri RS 2600:1971年スパ24時間レース優勝者
フォードカプリRS2600は、1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースで圧倒的なパフォーマンスを発揮し、見事に優勝を果たした伝説的なツーリングカーです。もともとアメリカ市場向けに開発されたマスタングをヨーロッパ向けに適応させた「ヨーロピアン・ポニーカー」として誕生し、特にRS2600はフォードの技術を力を終結した1台です。1971年バージョンのRS2600には、2.6リッターV6エンジンが搭載されており、当時の最先端技術である機械式燃料噴射システムを採用していました。このシステムは、レーストラック上での信頼性とパワーを提供し、長時間にわたる過酷なスパ24時間レースでも一貫して優れたパフォーマンスを発揮しました。
フォードカプリRS2600は、当時のツーリングカーレースの頂点を極め、今もなおモータースポーツ史に名を刻む、フォードの象徴的な勝利のマシンです。
参考:ESCUDRIA
そのお値段、オリジナリティ、レストア有無、希少性によって大きく異なりますが、オークションやクラシックカー専門の販売業者では一般的に5万ドル(約760万円)から10万ドル(約1,520万円)と言われております。2024年10月時点で検索したところ、17万5千ポンド(約3千450万円)なんてのもありました。
BMW M6 GT3:サーキットで輝くGTレーシングマシン
BMW M6 GT3は、BMWのモータースポーツ部門が手掛けた最高峰のGTレーシングマシンです。2016年にデビューし、BMW M6クーペをベースにGT3規定に基づいて開発されたこのモデルは、世界各地のGTレースで数々の成功を収めてきました。M6 GT3の心臓部には、4.4リッターV8ツインターボエンジンが搭載されています。このエンジンはレース専用にチューニングされ、約580馬力を発揮します。車両はカーボンファイバー製ボディを採用し、車両重量を約1,300kgという軽量化を実現しています。レースにおいても、2020年のはニュルブルクリンク24時間耐久レースでは、BMWチームが99号車M6 GT3を駆り、ニック・キャッツバーグ、ニック・イエローリー、アレクサンダー・シムズの3名によって、波乱のレースを経てトップキャリア最大の勝利を収めています。
BMW M6 GT3は、その圧倒的なパフォーマンスと数々の勝利を通じて、GT3クラスのトップコンテンダーとして位置付けられており、モータースポーツ界での重要な役割を果たし、次世代に繋ぐ重要なモデルとなっています。
参考:BMW GROUP Classic
そのお値段、2020年にM6シリーズは生産終了となっているため、中古車市場での一般的な相場は、1800万円前後。ただし、車両によってはさらに高額になることもあり、逆にレースで使用車でメンテナンスが十分でない車両は、もう少し安価で取引される場合もあります。
Toyota GT86:運転の楽しさを追求したスポーツカー
Toyota GT86は、日本国内では「トヨタ86」として販売されていた初代ZN6型の欧州仕様車の名称です。トヨタとスバルの共同開発によって2012年にデビューしたトヨタ86は、世界初の水平対向4気筒エンジンを搭載し、最高出力は約200馬力を誇ります。このモデルは、運転の楽しさを重視した設計が特徴のスポーツカーです。Toyota GT86は、さまざまな特別仕様車やバリエーションが存在し、街乗りからサーキット走行まで幅広いシーンで楽しむことができる人気車両となっています。2021年には生産が終了しましたが、同年に後継車両としてGR86(ZN8型)が発表され、さらなる進化を遂げました。
参考:TOYOTA.JP Wikipedia
そのお値段、発売当時の新車価格は約250万円~300万円程度。現在の中古車市場では約100万円~250万円程度で取引されています。
♦ ブランドショップ写真ギャラリー ♦
祭りの後
館内を一周しても有り余る時間。歩き疲れていたので、座って休んでいると、男の子と父親らしき男性が申し訳なさそうな視線を送ってきました。なんだろうと思って振り返ると、私が座っていた場所はBMWのロゴの前。どうやらそのロゴをバックに写真を撮りたかった様子。気づいてすぐに場所を移動すると、案の定、深夜に満面の笑顔で男の子が写真撮影をしていました。
深夜3時30分。霧雨程度の雨は降り続いていましたが、濃霧は全く晴れません。この霧が晴れればレースは再開されると信じていた私は、時折外に出ては車の音がしないか耳を澄ませました。目の前には、利用されることのないジェットコースターのコースが幻想的に浮かび上がっています。これは、2009年にニュルブルクリンクの大改修時に建設されたものですが、試運転中に設計不良が発覚し、一度も営業することなく廃止が決定されました。今後、老朽化したら撤去の問題が出てくるんだろうなと考えると。それまでに潤沢な資金を稼ぎださなければいけないのかも知れません。
結局、館内に戻り、空いていた飲食スペースのテーブル席に座りました。そこで耳を澄ましていると、レースが明日の朝8時まで再開しないことがわかりました。冷静に考えてみると、濃霧の中でいつ再開されるかわからないレースを、チーム全員がで待つなんてナンセンスですよね。いつでも出動できる状態でいるのは、リスクが高すぎます。これでレースの再開を気にせずに済むと、木製ベンチに横になり、バックアップを枕にして仮眠を取りました。寝袋を持ってきて本当に良かったと感じながら…。
6月2日、朝8時を過ぎても霧は晴れず、雨も降ったり止んだりを繰り返していました。寒さも続き、レース再開の気配はありません。10時になり、ショップが開店したので、ニュルブルクリンクのグッズショップに入ってショッピングを楽しみました。あれも、これもと、欲しいものがたくさんあったのですが、旅はまだ始まったばかりだし、荷物も増やしたくないし、物価も高い。悩みに悩んだ末、モバイルバッテリーと寒さ対策用にパーカー、そしてUSBケーブルを購入しました。モバイルバッテリーは2種類あり、その違いはバッテリー容量の大きさでしたが、大きさをどちらにしようか悩んでいると、言葉が通じていないと思われたのか、「a little bite、もしくはmore」と言い直され、横のスタッフがその表現を聞いて、「a little bite!?」で笑い出していました。「そこ笑うとこ?」と思いましたが、私はノートパソコンをバッテリー変わりにもなると持ち歩いていたこともあり、容量が小さい方を選びました。その後、これらのアイテムは旅の中で大活躍することになります。
雨と寒さで動き回る元気もなく、外に出ると、既に帰り始めたキャンピングカーが大通りで渋滞を作っていました。正直、このまま15時までいてもレースが再開するかもわからないし、帰りのバスの時間も読めません。スムーズに帰れるとは思えず、寒さと疲れのピークを迎えた私は、ここでレース観戦を断念することを決意しました。
撤収
帰ることを決めたものの、シャトルバスの列は相変わらず長蛇。アーデナウの町に戻っても、今日は日曜日。観光案内所はもちろん、お店もすべて閉まっている可能性が高い。周辺に長しのタクシーがいないかと、念のためUberアプリで検索してみたものの、そんな都合のいい車は一台もなし。サーキットは町中ではなく山奥にあることが多いので、交通や飲食はやはり不便。悩んだ末、目の前にある「ドリント アム ニュルブルクリンク ホッホアイフェル」ホテルのレセプションに向かいました。タクシー手配について聞きに行ったのですが、なんと宿泊客でもない私にタクシーを手配してくれるという素晴らしいサービスを提供してくれました。
ホテルの前で待っていると、30分くらいでタクシーが来ると言われましたが、30分経ってもタクシーの気配はありません。宿泊客ではないため、ロビーでくつろぐこともできず、寒さに耐えながらエントランスの外で待っていると、手配してくれたレセプションの方が「渋滞だから1時間くらいかかるかもしれない」と教えてくれました。その後、1時間後にタクシーが到着し、12時30分にようやく帰路に就くことができました。レース自体は、13時30分にフォーメーションラップで走行したようですが、レースは再開することなくそのまま終了となっていました。
結局、帰りはタクシーでコブレンツまで戻るという、お金に物を言わせた手段を使ってしまいましたが、往復のバスの下調べを事前に行っていれば、ニュルブルクリンクにも公共交通で行けることがわかったので、無事に町まで戻れたことに対して感慨深い思いでいっぱいでした。
宿泊:Trip Inn Hotel Hamm @コブレンツ
コブレンツ駅には13時20分頃に到着。昨日の行きの所要時間9時間が何だったのかと思いながら、駅のコインロッカーに預けていたスーツケースを取り、アプリで予約したホテルへと向かいます。
今回宿泊したのは「Trip Inn Hotel Hamm」。コブレンツ中心部にある家族経営の3つ星ホテルで、コブレンツ駅から徒歩19分の場所にあります。チェックイン時に驚いたのは、ドイツのホテルでは朝食が別料金であることと、部屋に電気ポットやインスタントーヒー、紅茶のティーパックが無いことです。イギリスのホテルでは、安宿でもティーセットと電気ポットが常備されているのが当たり前なので、この違いに少し戸惑いました。
コロナ後の影響もあるのかも知れないのですが、ドイツのホテルでは朝食込みの宿はほとんど見かけず、朝食は別料金で提供されることが一般的です。このホテルでも朝食は€15.00(約2,500円)。どこも宿泊施設では€15.00~25.00が相場なので、特にこのホテルが高いというわけではないです。
エントランスの正面にレセプションがあり、受付を済ませると右手に階段とエレベーターがあります。左手は食堂となっていて朝食はそちらで食べます。上階までエレベーターが利用できるのでスーツケースがある時は助かります。
ツインルームに宿泊しましたが、部屋は広々としていて清潔。ベッドルームとバスルームの間にロッカーがあるので荷物整理にも便利でした。
朝食はビュッフェスタイルで、ドイツだからなのかハムの種類が多かったの印象です。日本との物価の違いで値段は高く感じますが、美味しくて種類も豊富で満足です!朝6時30分から提供されていて、チェックインの時に何時にするかを予約します。ちなみに私は6時30分の1番乗りで食べました。
ボイルドエッグ
まとめ
はじめてのニュルブルクリンク24時間耐久レース観戦は、雨と濃霧により7時間22分の走行で史上最短レースとなり、北コースの名物コーナーを見ることもなく終わってしまいました。それでも、さまざまなハプニングはあったものの公共交通を利用して現地に辿り着けたのは嬉しい成果です。世界的に有名なレースイベントなので、もっと観客が来やすいような観光ツアーや臨時バスが充実していると勝手に思い込んでいましたが、モータースポーツのイベントは自家用車での参加が一般的なのかも知れません。イギリスのシルバーストーンに行ったこともありますが、その時はローカルなレースだったため、何万人もの観客が来る感じではなく、臨時バスなども出ていないと考えていました。世界大会のイベントでも、気軽に立ち寄れるほど交通の便が整っているわけではないのかも知れません。富士スピードウェイのように少なからずバスで行ける場所があるのは、ありがたいことだと感じました。
肝心のレースは2時間も観られなかったので何とも言えませんが、次にニュルブルクリンクに行くことがあれば、どこかで宿を確保したいなと思います。
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