ウエストミンスター寺院前広場の銅像 私の偉業は何?

ロンドン

2018年8月18日~8月26日 ロンドン旅行日記~シェイクスピア三昧より~

ウエストミンスター寺院正面を背にし、ビッグ・ベン(国会議事堂の時計台)の並びにあるパーラメント・スクエア・ガーデン内にある銅像の数々。

さて、彼等は何を成して銅像となったのでしょうか?

今回、 撮影した写真のその人物像に迫るべく調査をしてみた。

第1問目 ネルソン・マンデラ氏

特徴的な柄のシャツで何かを演説中の彼、さてどのような偉業を?

回答
名前:ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(享年95歳)
活躍時期:1944年~2013年12月5日(病死:感染症)
略歴:南アフリカ共和国の政治家、弁護士、南アフリカ共和国初の黒人大統領
偉業:反アパルトヘイト運動に人生を投じ45~46歳の時に国家反逆罪の終身刑を受けたが1990年、27年間の投獄生活を経て72~73歳の時に釈放、その翌年アパルトヘイト体制を平和的に撤廃させ民主的な南アフリカの礎を気づいた。1993年これを受けノーベル平和賞を受賞

★アパルトヘイト簡略★
特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策(人種差別の政策・制度)、17世紀にオランダ人が入植して以降 1991年6月まで続いた 。

★人種隔離政策簡略★
南アフリカの人種を、白人、黒人、カラード(白人と有色人種の混血)、アジア人(主にインド亜大陸系)の4つに分類し 白人の絶対的優位を前提に政治,経済,社会,文化などあらゆる分野にわたって非白人を差別し,最終的には各人種を別個の社会へと隔離(分離)した

コメント
17世紀~19世紀の間続いた非白人に対する差別。驚くべき事は、南アフリカ共和国の全人口の16%の白人が残りの非白人84%を人種に基づいて差別した政策だったこと。多勢に無勢とは正反対だ。1991年6月といえばまだ26~27年前(2018年3月現在)で、個人的にはアパルトヘイトについてあまり詳しくは知らなかったけれど、今回銅像の人物を調べてみよう企画で少しだけ知る事が出来たと思う。人種差別は簡単に語れる事ではなく事実と感情が交差するので深く知るには相当の時間を要するだろう。小学校の時に読んだアンクルトムの小屋や、映像で見たルワンダの涙ブラッド・ダイヤモンドをふと思い出した。別の機会に感情から来る個人的意見でも書こうかと思う。

第2問目 ロバート・ピール氏

回答
名前:ロバート・ピール(享年62歳)
活躍時期:1809年~1850年7月2日(落馬事故死)
略歴:イギリス保守党政治家
偉業:1829年、首都警察法(残虐な死刑方法の廃止、刑務所の環境の改善など非近代的な厳罰主義を改めて更生に主眼を置いた改革)を主導し、ロンドン警察庁を創設、近代警察の礎を築き、1841年、第2次ピール内閣を組閣すると自由貿易改革(農業の自由貿易)を推進し、関税の引き下げによる殖産興業を促し減収分は所得税の導入で補い、1844年、ピール銀行条例と呼ばれるイングランド銀行条例を制定した。

★首都警察マメ知識★
首都警察法を主導した事からイギリスの警察官はピールにちなみ「ピーラー(peelers)」あるいはロバートの愛称”ボブ”から「ボビー(bobbies)」と呼ばれる

★ビクトリア女王with寝室女官事件★
政権交代に際して宮内官を務める国会議員も入れ替わる慣例の人事に対してビクトリア女王が反発、「寝室女官人事を受け入れないのであれば大命を拝辞する!」と譲らないピール、譲歩の手立てもなく物別れとなり現職のメルバーン子爵が続投。女王の個人的感情で政権交代が阻止された前代未聞の事件であった。

コメント
中産階級に生まれた彼は、名門パブリックスクールに入学、オックスフォード大学卒業試験の数学と古典の両方で首席で卒業したとな。・・・何かを成し遂げる人は学問においても一生懸命学びに取り組んだからこそなのかも知れない。久しぶりにドラマビクトリア女王愛に生きるが見たくなってきたなぁ。

第3問目 マハトマ・ガンジー氏

回答
名前:モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(享年78歳)
活躍時期:1908年~1948年1月30日(銃による暗殺)
略歴:弁護士、宗教家、政治指導者
偉業:1918年、第一次世界大戦終戦後、独立運動をするインド国民議会に加わり、イギリスからの独立に向けて信念を抱きながら活動。
「非暴力、不服従」の思想を原動力にイギリス植民地からの独立運動の号令をインド国民へ発し続け、1947年8月15日ヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言しイギリス国王を元首に載く英連邦王国のインド連邦が成立した。

★20歳前までの悪がきガンジーさん★
小学校時代は成績も素行も悪く、宗教上禁じられているお肉を食しタバコにも手を出した挙句召使いから盗んだお金をタバコ代にするという悪行三昧の日々。13歳で将来の伴侶と結婚し、18歳でロンドンに渡り法廷弁護士となるため法曹院に入学。

★20歳以降の聖人化ガンジーさん★
ロンドンに渡ってからのリカバリーがえぐい。神秘思想結社・神智学協会の方々との出会いから宗教を通じてインドの伝統を学び弁護士として開業、人種差別を受けた経験からヒンドゥー教・インド哲学の知識を深める。20世紀初頭には南アフリカ共和国のインド系移民への人種差別による権利回復運動に尽力。

コメント
何となく勝手に平和の象徴的なイメージがあり人物像を知ってるつもりだったが、こうやって改めて調べてみるとあんまり覚えてなかった事に気づく。受験勉強とは・・・

第4問目 ベンジャミン・ディズレーリ氏

回答
名前:ベンジャミン・ディズレーリ(享年76歳)
活躍時期:1837年~1881年4月19日(病死:気管支炎)
略歴:イギリス保守党政治家、小説家、初代ビーコンズフィールド伯爵
偉業:5年間に5度の出馬、4度の落選を経て庶民院議員に当選。先に紹介したロバート・ピール氏と同年代に保守党の議員となるが、ピール氏の内閣に入閣できなかった事に反発しピール氏を批判する小説を出版。更にピール氏の自由貿易主義に対して保護貿易主義を掲げ保守党内分裂をもたらした。ビクトリア朝の時代に二期にわたって首相を務め、労働者に対しての改善法を制定、労働組合の強化など「トーリー・デモクラシー」と呼ばれる多くの改革を行った。外交面では「帝国主義(自国の利益や勢力拡大を目指し政治・経済・軍事の面で他国・他民族に対し侵略・支配・抑圧によって強大な国家をつくろうとする動き)」を遂行し、スエズ運河買収、ロシアの地中海進出を防ぐなどイギリスの地中海における覇権を確固たるものとするなど活躍した。

★小説家のディズレーリさん★
弁護士時代、南米鉱山投機・事業に失敗し破産し小説で生計を立てるべく出版した処女作「ビィビィアン・グレイ(ジャーナリストが庶民議員となり政界で地位を得るストーリー)」が社交界で話題となるが、後に実際の社交界を知らない21歳の若造が執筆したとあって滑稽な貴族のふるまいと嘲笑される。本人も晩年本作を恥じ入る事になるが、主人公のストーリーが自身の人生と重なっているように見える部分はある意味有言実行の書なのではないだろうか??
ヘンリエッタ・テンプル(初恋をテーマにした恋愛小説」こちらも民衆から先ず先ずの評価で金銭的な成功を得たとある。実際彼の小説は読んだ事がないけれど国会答弁にしろ演説にしろ言葉の表現力がよい人物なんだろうなと感じる。

コメント
ここでもビクトリア女王との話題になるが、1876年、ディズレーリ氏は女王から連合王国貴族の称号である「ビーコンズフィールド伯爵」の爵位を与えられた。庶民院当選時の若かりし頃は女王からは煙たがられていたものの、時代の流れと共に女王の信頼を得て最終的に貴族の爵位を得られるとは、野心からとはいえぶれずに目指し続ける事は決して無駄な事ばかりではないんだろうと改めて感じる。

第5問目  ミリセント・フォーセット 氏

回答
名前:ミリセント・ギャレット・フォースト(享年82歳)
活躍時期:1866年~1929年8月5日(死因不明?)
略歴:女性参政権運動活動家、経済学者
偉業: 1866年(19歳)より女性参政権獲得運動を開始し 1918年(71歳) 制限つき(30歳以上、世帯主、世帯主の妻、5ポンド以上の不動産所有者、大卒者のいずれか)の女性参政権を勝ち取るまで60年間運動に尽力。「 Courage calls to courage everywhere (勇気はいたる所で勇気を呼ぶ)」

★Women’s Social and Political Union(WSPU/女性社会政治連合)★
1903年、マンチェスターで結成された女性参政権を求める女性団体。ハンガー・ストライキ(ガンジーが行っていた非暴力抵抗運動の1つ)、爆破などの過激行動を起こしながら活動。1913年、連合の中でも特に過激派であったと言われるエミリー・ワイルディング・デービソン が国王の馬が出場したエプソム・ダービーにてレース中コース内に飛びだし死去。公衆の前で活動に注目を集めさせるための自殺行為だったのかは不明。過激な活動ばかりではなく、WSPUグッズの販売や機関紙を創刊する等のマーケティング戦略を成功させ、多くの国民に女性の参政権に対しての関心を集めた。1917年解散。

★National Union of Women’s Suffrage Societies(NUWSS/女性参政権協会全国連合)★
1897年、それまで存在していたグループが統合してできた団体。フォーセット氏はこちらの団体の結成時メンバー。政治家との結びつきも深く、穏健な活動を根気よく展開した。1914年には国内に500ヵ所以上の事務所をもち、男性を含む10万人ものメンバーが在籍。

コメント
昨年、たまたま「未来を花束にして」の映画をみた。正しくは映画をテレビでみたのだけれど、この話しはまさしくここで紹介しているイギリスで女性参政権のために戦った女性たちの姿を描いた歴史映画だ。主人公と関わる人物としてエミリー・ワイルディング・デービソンも登場。全く予備知識がない私としては突然のエミリーの行動も衝撃だったけれど、それが事実である事にも驚愕?!実際エミリーさんが死をもって抗議したかったのかは不明だけれど、個人的には時間がかかれどもフォーセットさんのように穏健な活動をする事が正しいとは思う。やはり命あっての活動が継続できるのであり、確かに衝撃的なニュースは大衆が目にして話題になるのは否めないけれども。変格を起こすのには犠牲が必用というのは哀しすぎる。

第6問目 第14代ダービー伯爵

回答
名前:エドワード・ジョージ・ジェフリー・スミス-スタンリー(享年70歳)
活躍時期:1820年~1869年10月23日(死因:不明?)
略歴:イギリス保守党政治家、貴族
偉業?:上記ロバート・ピール氏とベンジャミン・ディズレーリ氏の保守党分内裂時に保守党党首となり、3度首相を務めた。しかしいずれも少数政党の短命政権であり、大蔵省に任命していたディズレーリが政局を主導する事が多く影の薄い首相。偉業を成したというよりはお家柄のスタンリー家がダービー伯爵貴族である事で、先祖の12代目ダービー伯爵は競馬のオークスやダービーの創設者であるといった伝統ある家系。そちらの方が華やかかも?

彼の銅像の土台四方面には議会の様子が彫られている

コメント
どのような手法で彫られているのかはわからないけれど、遠近法と奥にいくにつれて薄くなる表現は絵画同様に表現するんだなと感心。

・・・3Dプリンターでちょちょいってつくったよー!なんて言われたら遠い目になるけれども。

第7問目 第3代パーマストン子爵

回答
名前:ヘンリー・ジョン・テンプル(享年80歳)
活躍時期:1807年~1865年10月18日(病死:風邪)
略歴:イギリス自由党政治家、貴族
偉業:ヴィクトリア朝中期、国民の利益を最優先しり強硬外交「自由貿易帝国主義」を代表する人物。 この頃ヨーロッパ諸国の自由主義化、ナショナリズム運動の活性化により戦争が多発するとイギリス国内にいながらベルギー独立問題の戦争回避、スイス内乱の沈静化に尽力。ロシアとトルコ間で勃発したクリミア戦争にて長期化による財政難に陥った事による責任として内閣総辞職によりテンプル氏が大命を受けて組閣した。

★クリミア戦争から起源した学問★
トルコ側について参戦する事となったイギリスとフランス軍だったが、どちらも現地事情に疎く現地民兵からの昼夜問わずの奇襲攻撃、フランス軍に至っては黒海特有の変わりやすい天候を知らず停泊中の艦隊が嵐にのまれて戦闘前から大半を喪失するという大ダメージ。この失態を受け、パリ天文台の台長であった学者のユルバン・ルヴェリエ氏が暴風雨研究の必要性をナポレオン三世に進言、これが後の天気予報という学問の起源となった。

パリ天文台★
フランス国内最大級の天文台で、世界最大級の天文学研究センターのひとつ

コメント
簡略するのも難しい程外交で大活躍したテンプル氏。全ては国民の利益のためにと奔走した氏。私自身が今まで政治はテストの暗記物くらいにしか関心をもっていなかったのだけれど、こうやって人物から調査していくと色々興味深いことが沢山。何故この思いを学生時代に持たなかったのだろう・・・。

第8問目 ヤン・スマッツ氏

回答
名前:ヤン・クリスティアン・スマッツ(享年80歳)
活躍時期:1896年~1950年9月11日(死因:不明)
略歴:南アフリカ連邦・イギリス連邦の政治家、軍人、哲学者
偉業:1899年、第二次ボーア戦争時は南アフリカのトランスバール共和国の国家代理人として反英ゲリラ軍を指揮、戦後は南アフリカの4植民地の合同を提唱し、1910年南アフリカ連邦成立に尽力。1923年、当初は黒人隔離行政区を建設するなど人種差別を擁護する姿勢をとっていたが、1945年、第二次世界大戦後には南アフリカの全ての隔離政策を放棄することを指示した。国際連盟の創設に貢献し、国際連合憲章草案の起草にも参画している。

★豆知識その1★
第一次世界大戦、第二次世界大戦両方の平和条約に署名した唯一の人物で、国際連盟規約と国際憲章に署名する唯一の人物であった。

★豆知識その2★
現南アフリカ共和国の国際空港であるO・R・タンボ国際空港は、1952年から1994年まで彼の名にちなんだ「ヤン・スマッツ国際空港」という空港名だった。アパルトヘイト撤廃後の新政府により政治家氏名を空港名に付けないことを表明したため改名となっている。

★第二次ボーア戦争とは★
1899年10月11日~1902年5月31日の間、独立ボーア人共和国(オレンジ自由国(※南部アフリカに存在した共和国)・トランスヴァール共和国(※南アフリカ共和国北部に存在した共和国))とイギリス間の戦争。トランスヴァール共和国で豊富な金の鉱脈が発見された事によりイギリスから何千人もの鉱山技師たちが殺到し定住。先住民のボーア人(オランダ系アフリカーナ)は、彼等外国人に対して投票権を与えず金に重税を課すなどの不平等な待遇を行っていた。これに対し同等な権力付与を求めたイギリスと48時間以内にイギリス軍の退去を求めたボーア人共和国で交渉決裂により宣誓が布告された。
この戦争ではイギリス軍による強制収容所、焦土作戦など国際的に批判される行為が行われた。

第9問目 初代ロイド=ジョージ伯爵

回答
名前:デビッド・ロイド・ジョージ(享年82歳)
活躍時期: 1890年~1945年3月26日(病死)
略歴:イギリス自由党政治家、貴族
偉業社会改良政策(老齢年金法、所得税累進課税強化、相続税増税、土地課税など富裕層からの税金取立、国民健康法・失業保険法)の制定を主導し、1918年2月、先に紹介したミリセント・フォーセットさん達が活動した女性参政権を付与する選挙法改正を行った。また、第一次世界大戦の戦後処理も指導し、ヴェルサイユ条約の構築にも貢献。

お人柄
ジョージさんは専門知識に乏しいところがあったものの、それを専門家で補う事に長けていた。雑務は嫌いで仲間は利用される道具でその使い手であり言葉や物事の外側を見透かす独特の底深い直観力の持ち主。雄弁家として知られ演説パフォーマンスにも優れていた彼はヒトラーより「演説の天才」とも評されている。

第10問目 ウィンストン・チャーチル氏

回答
名前:ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(享年90歳)
活躍時期:1900年~1965年1月24日(病死:脳卒中)
略歴: 保守党のち自由党政治家、軍人、作家
偉業:1908年(33歳)商務長官就任、失業保険等の社会政策を主導、1910年(35歳)内務大臣就任、1911年(36歳)海軍大臣就任、海軍軍事増強を進め、1914年(39歳)第一次世界大戦開戦にて小規模の海戦を繰り返しながら、1915年(40歳)ガリポリの戦いにて英仏連合艦隊にて出撃するも戦略ミスにより大損害を被る。これにより海軍大臣からランカスター公領大臣へと左遷されたが引き続きガリポリ上陸作戦の指揮をとり更なる大損害を与える。結果、戦争指揮を取れる状況になくなったためランカスター公領大臣を辞任したが、すぐに陸軍少佐階級と王立スコット・フュージリアーズ連隊所属の第6大隊長の地位を得て再度の参戦し、1916年(41歳)ここでも戦死者を多く出し大隊指揮官を解任されロンドンに戻った。1917年(42歳)軍需大臣就任、新兵器「戦車」の戦車製造計画に勤しみ、1919年(44歳)戦争大臣兼航空大臣に就任、1921年(46歳)植民地大臣に転任、イギリス委任統治領であったパレスチナとイラクで発生する暴動を鎮静化する秩序維持にあたる。1922年(47歳)、解散総選挙にて落選、1924年(49歳)再選を果たし大蔵大臣就任、金本位制の復活宣言、打撃を受けた輸出産業の労働組合のスト沈静化にあたる。1929年(54歳)政権交代により大蔵大臣退任、1939年(64歳)第二次世界大戦開戦、海軍大臣に就任ここでも作戦失敗によりドイツ軍に粉砕されたが、1940年(65歳)これらを含め責任を取らされたチェンバレン首相に変わって首相就任、1945年(70歳)ヨーロッパ戦争終結後の解散総選挙による政権交代にて首相退任するまで大戦指揮を行っていた。1951年(76歳)保守党政権奪還により2度目の首相就任。1955年(80歳)首相退任まで戦後の外交と国内情勢にて多大な政治的活躍

青年期のチャーチルさん
1895年、20歳でサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業後ヴィクトリア女王の軍隊の軽騎兵第4連隊所属の軍人となる。戦争に参加したがり屋の彼は戦場報告を前提に新聞社と特派員契約を結びキューバに行ったり、インド勤務時代に参加した実践の体験談を小説にしたり戦争に参加しながら作家としての文才も開花(そもそも特派員契約で記事を書く理由は年収£300に対して自身の生活水準には£500必用だった)。1899年、24歳で陸軍を除隊後、保守党候補として出馬するも落選、同年勃発した第二次ボーア戦争(先のヤン・スマッツ氏紹介文参考)に特派員として現地の植民地に向かう(月額£250+全ての経費込みでモーニングポストと契約)。途中ボーア人の攻撃を受け捕虜となるも1ヶ月弱後に脱走(脱走後も国内に残り新聞に報告を送り続けた)、劣勢中のイギリスにとって戦意を上げる朗報であり、これを機に南アフリカ軽騎兵連隊の中尉階級のまま再入隊を果たす。1900年帰国後保守党公認候補として出馬し26歳で初当選、晴れて庶民院議員となる。戦費により国内財政赤字となると各種増税が行われ、国外に対する関税を永続させようとする保護貿易派と国家の介入なく当事者間で自由に行う自由貿易派で分裂、チャーチルは後者を指示し保守党から自由党に移った。

小説家のチャーチルさん
1898年 マラカンド野戦軍物語 イギリス領インドでマラカンドにて野戦隊での体験を元にした歴史回想録
1898年 サヴォラ 唯一の架空作品で架空の州の独裁政権に対する暴動が革命になる物語
1899年 The River War スーダンでのマーディスト戦争時イギリス軍将校としての体験を元にした歴史回想録
1900年 ロンドンからレディスミスへ 第二次ボーア戦争の最初の5か月間に彼が感じた印象の回想録(レディスミスの救済、捕虜からの脱走劇を含む)
1900年 イアン・ハミルトンの行進 第二次ボーア戦争での脱走後に送っていた自身の体験の新聞記事を編集した歴史回想録
1906年 ランドルフ・チャーチルⅠ 政治家だった彼の父親の伝記(全2巻の1)
1906年 ランドルフ・チャーチルⅡ 政治家だった彼の父親の伝記(全2巻の2)
1923-1931年 世界危機 第一次世界大戦中(1911年-1931年)を分析的にまた当時の彼の戦争における役割の正当化を語った歴史回想録(全6巻)
1930年 わが半生 1874年誕生から1904年頃までの自伝
1933-34, 36,38年 Marlborough 先祖ジョン・チャーチル・マールボロ侯爵の伝記(全4巻)
1948-1953年 第二次世界大戦 第一次世界大戦から1945年7月までの歴史回想録。初版(全6巻)「近づく災難(1948), 彼等の最も最高な時間(1949), 大同盟(1950), 運命の繋ぎ目(1950), 包囲網(1951), 勝利と悲劇(1953)」、合本版「戦争:決断、敗北:抵抗、勝利:寛大、平和:善意」
1956-1958年 英語国民の歴史 イギリスと元々の植民地、世界中の占有の歴史回想録

コメント
第一次・第二次世界大戦にて海軍大臣として指揮をとるチャーチルさん。とにかく戦いたい彼が戦術に長けていたかというとそうでもなく失敗により大損害を与えていることが多い。にわか知識では書ききれない程歴史的変革を起こしているので、機会があれば翻訳されていない彼の作品を読んで見たいと思う。いつの時代の戦争も人種問題から勃発し、優越から起こる貧富の差、そこから発生する不満が争いごとの根本的な原因なのかも知れない。現代でも収束出来ない哀しい事だと感じる

パーラメント・スクエア・ガーデン (国会議事堂広場)

おまけ
パーラメントスクエア板をなんちゃって訳してみた

パーラメント・スクエア・ガーデン (国会議事堂広場)
国会議事堂は広場の両側にそれぞれ東に議会(国会議事堂)、北に行政(政府)、西に司法(最高裁)、南に教会(ウエストミンスター寺院)を表している。これはイギリス国民、その他世界中の人々にとって重要な歴史的、象徴的価値のあるエリアです。
オリジナルエリアは現在の修道院敷地近くにあるソーニ―島に小さな修道院があった10世紀末まで遡る事が出来、現在国会議事堂広場を形成している地域は、以前は教会の墓地と聖マーガレット教会に隣接する通りだった。1780年初頭に建物が解体され墓地を一掃し芝生が敷かれたが、1834年火事によって中世のウエストミンスター寺院宮殿が破壊された。

火事の後、チャールズバリー卿は新しい宮殿(現在は国会議事堂として知られている)を設計するためのコンペに勝ち、テムズ河に沿って8エーカー(東京ドーム0.7個分)を含み拡張された。結果、ゴシック様式の建物は1852年、続いて1858年にビッグベンを収容する時計台が完成した。国会議事堂広場はバリーの設計に含まれており1868年に敷地内の建物が片付いた後、新しい国会議事堂により良い環境を提供することを目的として配置された。

第二次世界大戦中、ウェストミンスター地域は重大な爆弾の被害を受け、1948年建築家グレイウォーナムは当時の運輸省のため1つの中央庭園島として広場を再設計するよう依頼された。現在の設計は正方形の芝生、舗装された歩道、形式的通路を含み北と西の端に座席がある。

1996年国会議事堂広場はイギリス指定建造物2級に記載、特別歴史的建造物の庭として登録され、1987年にはウェストミンスター寺院と国会議事堂保護区に指定された。

ウェストミンスター宮殿(より一般的には国会議事堂として知られる)およびセントマーガレット教会を含むウェストミンスター寺院は、卓越した普遍的な建築的、歴史的および象徴的な意味を認識して1987年にユネスコの世界遺産に登録された。 彼らはまた、世界中で精神的、民主的な理想の象徴として国際的に認識されている。

国会議事堂広場はウエストミンスター寺院とウエストミンスターホールの間のセレモニー経路のキ重要な部分であり、私達の伝統に重要な役割を果たしてきた。

王と女王の戴冠式行列は1066年以来ここを通り、国王や女王の多くは修道院に埋葬されている。また、ここに埋葬されたり記念されているのはほぼ全ての世紀における3,000人以上の偉大な男性と女性(閣僚や下院議員、弁護士、戦士、聖職者、作家、芸術家や音楽家)で、広場には、元首相ジョージ・チャニング、ロバート・ピール卿、ダービー伯爵、パーマストン子爵、ベンジャミン・ディズレーリ、デビッド・ロイド・ジョージ、ウィンストン・チャーチル卿など多くの有名な政治家の彫像があり、2007年にはアフリカ大統領のネルソン・マンデラの像が広場に追加された。
※ 11体の彫像(2019年3月25日現在):ヤン・スマッツ(1956/11/7)、マハトマ・ガンジー(2015/3/14)、ミリセント・フォーセット(2018/4/24)

ここまで書いて気づく、ジョージ・チャニングの写真がないことを・・・
次回渡英した時に撮影してこなければ。

コメント

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