いざ!ストラトフォード=アポン=エイボン

ロンドン

※記事で使用している写真は2018年8月(COVID-19以前)に旅行した際に撮影したものです

ストラトフォード=アポン=エイボンはイングランドのウォーリックシャーにある町ですが、現代ではシェイクスピアの生誕地そして埋葬地の観光として世界的に有名なところです。今回はイングランドの歴史を絡めつつ町のご紹介を。

ストラトフォード=アポン=エイボンの語源と歴史

ストラトフォード=アポン=エイボンは、ローカルサイトによると紀元7世紀にサクソン人が現在のウォーリックシャーに侵攻した際に設立とのこと。ですが、そもそもの歴史を遡ると、まずグレートブリテン(英国)は、イベリア半島(スペイン、ポルトガル等ヨーロッパの南西に位置する半島)の原住民イベリア人がやってきたことが始まりと言われております。
その後紀元前7世紀頃にケルト人(インド・ヨーロッパ諸族)が渡来し鉄器文化がもたらされました。現代においてもケルト人の文化や地名はいくつか残っておりその1つに”Avon(Abhann:ケルト語)”という”川”を意味する言語があり、これがストラトフォード=アポン=エイボンの地名”エイボン”の語源にあたります。

グレートブリテンの部族、民族の入れ替わりの歴史ですが、ケルト人と言ってもいくつかの部族(一派?)で構成されており、イングランドに居住していたケルト人はブリトゥン人、アイルランドはゲール人、そのゲール人の一部が北部へと移動し定住したのがスコット人と呼ばれていたようです。そしてスコット人がその地をスコットランドと呼ぶようになり現代に続いておりますが、元々ケルト人はヨーロッパ大陸の広い範囲で活動していたとの所説あり、北イタリア、フランスに居住していたケルト人のことをローマではガリア人と呼び海峡を越えてブリテン諸島に移住したケルトの部族ブリトン人が「自分たちの土地」という意味で一帯を「ブリタニア」と呼ぶようになったと言われております。

時が流れヨーロッパ大陸に居住していたケルト人同様、ブリタニアは徐々にローマ人の支配下となっていきますが、その中でも粘り強く抵抗した一部のブリトン人が大陸に渡って移住した先がフランスのブルターニュ地方で、その地と区別するためにブリテン諸島を「グレートブリテン」と呼んだのがグレートブリテン島の由来と言われているようです。ただ、ケルト人がいつブリテン諸島に渡ったのかはっきりしておらず、そもそもヨーロッパ大陸のケルト人とブリテン諸島のケルト人が同一種族ではないとの考古学的見解もあり、現在では出路を含め歴史の論争が続いております。近い将来化学の力で新事実が判明するのか、はたまた歴史は永遠に憶測で語られるのか。個人的には、もしもタイムマシーンを1度だけ使用する機会があるとすれば、私は迷わず未来に行くので、過去を選んだ他の誰かにグレートブリテンの始まりを書き記してもらって未来で読みたいかな。

ちなみにハロウィンはアイルランドに住んでいた古代ケルト人のお祭りサウィン祭(Samhain=ゲール語「夏の終わり」の意味)が起源と考えられております。サウィン祭とは、ケルト歴の夏の終わり10月31日の前夜祭から冬の始まりである11月1日の祝祭までかがり火を焚いて行われる収穫の祝いと余剰の作物や家畜の供養のお祭りで、夏の光から冬の闇へと変わる時に間の門が開かれ死者の魂が現世に戻ってくると信じられていたようです。後に侵略してきたローマ人によってキリスト教が普及され、更にローマ帝国が放棄したブリタニアに移住してきたゲルマン部族(デンマーク、北部ドイツに居住していたサクソン人、アングル人及びジュート人、後のアングロ・サクソン人)によってサウィンの風習はキリスト教に取り込まれていったため、サウィン祭はアングロ・サクソン語のHallow(聖人の意味)とAll Hallows Event(万聖節前夜祭)が短縮されHallowen(ハロウィン)となったと言われております。アイルランドからの移民により、この伝統のお祭がアメリカに伝えられ現在のハロウィンの形となって定着しており今では宗教的な思想よりもイベントの経済的要素が大きいのかも知れません。

ローマ人が去った後、アングロ・サクソン人がブリテン諸島を支配しますが、ブリテン島の西部、北部に追いやられたケルト人はコーンウォール、ウェールズ、スコットランド地方で小部族の王国として定住し、ケルト語はそれぞれゲール語、ウェールズ語、スコットランド語へと変わっていったと言われております。
日本にも方言があるように距離が離れていくごとに言葉が変わっていくのは不思議だなと思いますが、その地域の環境、例えば寒い、暑いなどで口の動きに大小が生じた結果聞こえる発音によって言葉が変わっていく、というのも要因の1つかな、なんて考えると言葉の起源を遡るのは大変興味深いです。

アングロ・サクソン人の後にデーン人(ノルウェーのヴァイキング)がブルタニアに侵略して一時は統治しますが、更にノルマン人(北フランスに定住したゲルマン人)によって征服されてしまいます。と、簡単に書いてしまっていますが、ヴァイキングしかり、サクソン人、ゲルマン人、ケルト人、それぞれの時代に混沌とした物語が奥深くあり、私自身も今回ストラトフォード=アポン=エイボンを訪れたのをきっかけに、ほんの一部の歴史を垣間見たにすぎず、歴史についてはいつか現地に行くことが出来たら写真とともに記事に出来たらなと思います。

さて、そんな歴史の背景がありつつストラトフォード=アポン=エイボンの語源ですが、ケルト語とサクソン語(ゲルマン人ドイツ語)から形成されていると地元公式サイトで紹介されていたので推測を元に調べてみまして、ドイツ語で街道は”Straßen”、浅瀬は”Ford”という単語なのでStraßen”(街道)”Ford”(浅瀬)”Avon”(ケルト語の川)「川の浅瀬にある街道」という解釈でよいのではないでしょうか。完全に個人的な解釈ですが。
紀元7世紀当時のストラトフォード=アポン=エイボンは村でしたが、貿易や商業が急速に発展し、人口も増え続けて紀元12世紀後半には町へと変貌を遂げていきます。
詳しくはローカルサイトをご参照ください。
https://localhistories.org/a-history-of-stratford-upon-avon/

中心地の街並み

ここからはストラトフォード=アポン=エイボンの中心街をご紹介したいと思います。
中心街といっても小さな観光地なので、周辺のコッツウォルズやオックスフォードとの1日パッケージツアーでも有名な観光スポットは駆け足でまわれますが、やはり演劇鑑賞を含めてゆっくり1泊以上滞在するのがお勧めです。

Tudor World

チューダーワールド博物館は、チューダー朝時代の生活様式が再現され、フィギアや小物、投石器の他タッチスクリーン等インタラクティブに楽しめるものがあります。また、ミュージアムツアーやシェイクスピアツアー、魔女裁判など参加型のイベントも盛り沢山。ですが、旅行に行った当時は、博物館や夜のゴーストツアーがあると知らずに旅の計画をしてしまっていたので、こちらに訪れることが出来ず本当に残念だったので機会があれば再訪してゆっくり見学したいと思っています。
博物館HP:https://www.tudorworld.com/visiting-us

Royal Shakespeare Company & Theatres

2.Royal Shakespeare Company & Theatres
1879年ストラトフォード=アポン=エイボンの地元の醸造家チャールズフラワーが土地を寄付し、劇場建設のキャンペーンを行ったことで現在の場所にシェイクスピアメモリアル劇場を開場したことから始まります。1926年火災で焼けてしまいますが、1932年に復活、1961年にはピーター・ホールによるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが設立されると、劇場をロイヤル・シェイクスピア・シアターに名称を変更し法人各となりました。1986年スワン・シアターが誕生し、2007年ロイヤル・シェイクスピア・シアターとスワン・シアターは改修工事のため閉鎖しますが、2010年にプレビューイベントを再開後、2011年に正式オープンしました。
エリザベス女王がパトロンに名を連ねており、チャールズ皇太子がRSCの理事長を務めています。また、COVID-19による休演などに対して英国政府が文化芸術セクターへの助成金による緊急支援を決定しRSCも支援のもと存続しております。
RSC HP:https://www.rsc.org.uk/about-us/history

ストラトフォード=アポン=エイボンには、シェイクスピアの生家とお墓参りそしてシェイクスピア劇を観劇しようと思ったのですが、この時(2018年8月)のプログラムが「お気に召すまま」か「じゃじゃ馬ならし」(だったかな?)で、実はお話をまだ読んでなかったため、スワン劇場で上映中のタンバレイン大王を観劇しました。

TAMBURLAINE
タンバレイン大王は、1587年もしくは1588年イギリスの劇作家クリストファー・マーロウによって書かれた2部構成の序曲で、1部では羊飼いのタンバレインがペルシア帝国を手に入れ、トルコの皇帝一族を捕えたのちにその属国の王たちを殲滅して成り上がっていく様が描かれており、劇場のステージ上は殺戮の海で真っ赤に染まりました。
ここで休憩を挟み暗転とともに赤く染まったステージをモップ隊が綺麗に片づけていましたが、この劇場はステージが横幅の広いキャットウォークのようにせり出しているのでお掃除も大変そうでした。
休憩中は劇場内にあるカフェで紅茶を飲みリフレッシュ。2部ではタンバレイン大王の息子たちも出てきますが、主役はやはりタンバレイン大王。そして生涯を通しての殺戮の限りをつくし一大大陸の覇者に・・・。

タンバレイン大王Wikipedia:https://en.wikipedia.org/wiki/Tamburlaine

感想
RSCによるタンバレイン大王のストーリーはとにかく息を吐くかのように行われる戦いと殺戮の連続に圧倒されました。劇作家であるクリストファー・マーロウは、シェイクスピアの2か月前に誕生し、23歳の時にこのタンバレイン大王が上映されて大成功をおさめたとのことですが、23歳で凄まじい野望をこんなに力強く書きしたためるとは恐るべし。その時代背景や環境もあると思いますが、美しい話に感動するとか物事の不条理に苦しくなるというような言葉が並ぶストーリーではなく、良くも悪くも命と業の力強さを感じるそんなお話です。クリストファー・マーロウ本人は、それまでに諜報機関活動に関与していたとか、当時反社会的な思想とされていた無神論者であるとの噂や、二重スパイ疑惑など当局には良くない印象を与えており、29歳の時に居酒屋での喧嘩により命を落とします。しかしその死は暗殺や陰謀説などスッキリしないものとなっており、未だにその死は謎として語り継がれております。

Shakespeare’s Birthplace

William Shakespeare(ウイリアム・シェイクスピア)は、イギリスの劇作家であり詩人である世界中に知られた人物ですが、その出生と人物像は大きく謎を秘めており研究者による所説いろいろあります。
一般的な認識としては、1564年4月23日(前後数日)にイングランド王国ウォーリックシャーのストラトフォード=アポン=エイボン(Henley Street, Stratford-upon-Avon CV37 6QW)のこの家で生まれ、18歳での結婚後数年まで暮らしていた人物がウイリアム・シェイクスピアと言われております。その後突然ロンドンの劇場で劇作家として名が知れるようになる数年間の痕跡が不明であり、通っていたといわれているKing Edward VI School(キングエドワード6世学校)にも学生簿的な在籍を証明するものは何も残っていないため、それぞれの研究者によってシェイクスピア人物像の見解が異なっています。

ウイリアム・シェイクスピアは私たちを形成し私たち自身を作りあげるのに貢献しました。彼の劇は、劇場、学校、大学、刑務所、公園などで上映されています。あなたが今日ここを訪れている間にも、世界のどこかでハムレットが上映されているのです。
シェイクスピアの言葉は生き生きとして鮮やかで時に挑戦的です。多くの映画、音楽、本、詩、絵画、オペラ、バレエ、ポップミュージック、政治演説、テレビ番組が彼の作品から影響を受けています。ウイリアム・シェイクスピアの作品がなければ、世界はもっと貧しくなっていたでしょう。

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ウイリアム・シェイクスピアの誕生場所についてはまた別の記事でご紹介します。

Nash’s House & New Place

ナッシュの家とニュープレイスの中には入っていないので詳細を紹介しているサイトから引用します。

シェイクスピアは1597年に引退後の住まいとして当時ストラトフォード=アポン=エイボンで2番目に大きく唯一のレンガ造りであったニュープレイスを購入しました。ただし住み始めたのは1610年からで亡くなる1616年まで暮らしたと言われています。奥さんのアン・ハサウェイはその後1623年に亡くなるまで住んでいたと考えられており、彼らの死後は娘のスザンナとその夫ジョン・ホール夫妻が移り住み、その死後はスザンナの娘エリザベスが家を引き継ぎます。エリザベスは近所のナッシュ・ハウスに住んでいたトーマス・ナッシュと結婚したことがわかっているそうです。
その後ニュープレイスはジョン・クロプトン卿によって改修され一般公開されますが、更にその後の1759年フランシス・ガストレル牧師によってシェイクスピアが植えたと言われている桑の木を見て家の前に居座る観光客が押し寄せることに腹を立て、桑の木を切り倒して切り刻んで薪にしてしまいます。それだけでは飽き足らず桑の老木を伐採し一説によるとそれによって土地の課税価格を下げようとしたとも言われているようです。ガストレル牧師は地方税にも反抗し続けますが、結果的に税金が払えずニュープレイスを追い出されてしまいます。
ガストレル牧師は町を追われ、ストラトフォードでは二度と牧師やその子孫に我慢を強いることがないようガストレルという名の人がストラトフォードに住むことを禁止する条例が可決されたそうです。
現在ナッシュの家は、シェイクスピアの生涯に関するものが展示されており、1616年に書かれたシェイクスピアの遺言執行人のコピーや、シェイクスピアがニュープレイスを購入した所有権を証明する罰金(法的措置)のコピー、「WS」と刻まれたサインリングなどが展示されています。

引用元:https://www.britainexpress.com/counties/warwickshire/az/Stratford/New-Place.htm

Hall’s Croft

ホールズクラフトは、トリニティ教会の近くにあるそうですが、この時は知らず訪れていないので詳細を紹介しているサイトから引用します。

ホールズクラフトは、1607年ウイリアム・シェイクスピアの娘スザンナと結婚したジョン・ホール博士というストラトフォードの著名な医師と1616年まで暮らしていたことにちなんで名づけられた木造家屋です。
現在はチューダー王朝時代の医療行為に関する展示や、チューダー王朝時代や初期スチュワート王朝時代に使われていたであろう調度品が展示されています。

引用元:https://www.britainexpress.com/counties/warwickshire/az/Stratford/Halls-Croft.htm

コメント
引用元のサイトを見ると、調度品や当時の生活を再現している素晴らしい展示があるようなので、次にストラトフォード=アポン=エイボンに訪れる機会があれば絶対に訪問したいと思います。

Harvard House

アメリカのボストンにあるアメリカ最古の大学であり、各種の学問で常に世界ランク上位の名門校ハーバード大学の創設者の1人、ジョン・ハーバードの祖父で、ストラトフォード=アポン=エイボンの地元の実業家、トーマス・ロジャースによって建設されたハーバード・ハウス。切妻屋根、オーク材の梁、精巧な彫刻が施されたこの家は、ストラトフォード=アポン=エイボンで最も美しい建物として長い間注目されており、現在はグレード指定物件として当時のスタイルで保存されています。建設は1596年、トーマスの死後は息子へ、そして息子からその息子へと引き継がれた後に売却されました。1909年アメリカの大富豪エドワード・モリスが購入する間には数名の借家人が住んでおり、鍛冶屋、金物屋、仕立屋、不動産業と時代の移り変わりと共に居住する人も変化していったようです。町の中心地に立地しているので商売人が多かったようですね。また、トーマス・ロジャースとシェイクスピアとの関連性ですが、彼はシェイクスピアの父親と共に自治体参事会員をつとめていたとのことです。
参考:Wikipedia ハーバード・ハウス

現在、このハーバード・ハウスは博物館として保存されており、エリザベス朝・チューダー朝時代の生活関連の展示物と子供向けの体験型アクティビティもあるそうです。ここに博物館があることも帰国してから知ったので、やはり次の機会にはゆっくり歴史を噛みしめたいと思います。
ハーバード・ハウス ツアー&チケット:Viator.com

Grammar House

ウイリアム・シェイクスピアが、英語、キリスト教、音楽、古典そして演劇を学び、2016年シェイクスピア生誕400年記念事業の一環としてオープンしたグラマースクールと、1418-1420年に聖十字架ギルド(中世の宗教的会員制財団)の食堂として建設されたギルドホールです。現在も毎日学校の授業が行われており、校舎のほとんどは立ち入り禁止ですが、ギルドホールの上階から古い中庭が見えるそうです。
残念ながらこの学校とギルドホールも中に入って観光できるのを知らず外からの写真しかないので以下に歴史などを引用します。

1295年、聖十字架ギルド(中世より近世にかけて西欧諸都市において商工業者の間で結成された各職業組合)が、息子たちに読み書きと宗教の基本を教育することを目的に設立したグラマースクール(入試あり公費負担の学校)でしたが、後々若者への教育を提供する場所へと発展。
1547年、エドワード6世がギルドを違法と宣言し、ギルドホールや校舎を含む資産を全て押収、1553年その資産をストラトフォードに譲渡してThe King’s New Schoolとして再建しました。
その後10年間、生徒は地元の裕福な商人の息子達で、朝6時から夜18時まで小休憩を挟んで授業が行われていました。
シェイクスピアは1570年代に入学したといわれており、7才~16才までの40~60人の生徒を1人の校長が1度に教えていた。

Britain Express

ギルドホールには、チューダー王朝時代の教室と18世紀の学生たちの生活を再現した教室があり、一部の家具にはチューダー朝時代のスクールデスクや、ニュープレイスでシェイクスピアが居住していた頃の長机のオリジナルがあります。コスチュームを着た俳優が厳しい校長役を演じながら当時の生活を説明していたり、羽ペンを使って字を書いたり、当時のコスチュームを着たりと興味深い体験もあるようです。

Guild Chapel

13世紀に建設されたチャペルで、ウイリアム・シェイクスピア晩年の自宅ニュープレイスのすぐ横にあり、1500年後半にシェイクスピアの父親が壁画の修復作業に関わったというシェイクスピアと縁の深い教会。
※写真左手前にちらりと写っているのがシェイクスピアのニュープレイス
The Guild chapel HPLink: http://www.guildchapel.org.uk/the-chapel/history/

1269年、ギルドが礼拝堂と病院の建設許可を得て建設したが、病院は年代不明だが消滅している。
1449-52年、チャペルの再建及び改修が行われる。
1496年、壁面に絵が描かれる。


1547年、ヘンリー8世死後、エドワード6世が国王となり厳格なプロテスタントの宗教改革が始まるとギルドは閉鎖されその資産は王室によって差し押さえられる。
1553年、エドワード6世がストラトフォード・コーポレーションを設立しギルドの建物を本部として旧ギルド校をエドワード6世校として再興した。エドワード6世の死後はメアリー1世が戴冠しカトリックが復活。
1558年、メアリー1世の急死によりエリザベス1世が女王となりプロテスタントが復活。
1559年、エリザベス女王の勅令により「礼拝堂から迷信と偶像崇拝のあらゆる兆候を除去する」との要求で町の侍従長であったウイリアム・シェイクスピアの父ジョン・シェイクスピアは2シリングを払いチャペルの壁画の一部を石灰で覆わせました。


1620年、ギルド・チャペルの牧師が次のことを許可していたためコーポレーションとトラブルになる。
・彼の子供たちがそこでボールや他のスポーツで遊ぶこと
・使用人がそこで洗濯物を干すこと
・豚、鶏、犬をそこに寝かせて餌を与えること
そのため絵は汚れ窓は割られていた。
17世紀の初頭、身廊は柱、羽目板、台座を模倣して単色で再塗装され礼拝堂と身廊は壁で仕切り聖堂はテナント用に仕切られ貸し出された。
1641年、大聖堂のスクリーンが取り外され内部は再び石灰で覆われる。付柱で仕切られた赤いパネルの新しい装飾が元の壁画の上に描かれ、壁の一部は上塗りされ祈祷板が掛けられた。また、聖堂と身廊の間の仕切り壁や内陣仕切りは取り除かれ内部は石灰で塗り直された。

ジョン・シェイクスピアと彼の家族が宗教改革で弾圧されたカトリックの信仰を守っていたのかどうか学者たちは長い間議論をしてきましたが、現在わかっているのは、絵画が汚されたのではなく大部分が石灰で覆われたということです(『死の寓話』の大天使ミカエルの顔だけが、はっきりと汚された(引っ掻き回された))。この石灰化によって細部まで描き込まれた絵画の多くが保護されることになったのです。

http://www.guildchapel.org.uk/the-wall-paintings/


1804年 、大規模なチャペルの改修を行い15世紀の素晴らしい天井と屋根は危険な状態になったため取り除き現在の漆喰の天井を導入しドゥームの絵は切り取られた。
工事の際中世の壁画が再発見され古物商で製図家のトーマス・フィッシャーによって記録されましたが聖堂の絵画は工事で破壊された。
1835年、身廊の西壁に木製のギャラリーが挿入され元の木製の スクリーンやロッドの彫刻が再利用された可能性がある。
18世紀初頭 – 赤とピンクの大理石を模したコリント式(古代ギリシアの建築様式)柱頭の付柱と模造パネル(剛体または半剛体のコンポーネントから構築されたミルワーク壁装材)が新たに塗装され洗礼盤が設置された。
1852年、破滅の扉に巻物や祈りの板が描かれた時期の可能性がある。

1929年、「破滅」「死の舞踏」「アダムの生涯」の絵画が再び発見されワックスを使って保存された。
1955-1962年、チャペルの老朽化が激しくなりギルド・チャペル友の会が結成され資金を提供し、ギャラリー、ボックス型教壇、聖堂の床の撤去、ステファン・ダイクス・バウワー(Dykes-Bower:イギリスの教会建築家であり、ゴシックリバイバルデザイナー)による新しい教壇とパネルの設置など修繕と大規模な改造が行われる。
その際洗礼盤が身廊の北端に移設された。

The Doom or Judgment

15世紀末から16世紀初頭にかけて壁面には印象的な絵が次々と描かれた。これらはすべて聖人、天国と地獄の門、その他死後の世界に関する一般的な考察を描いたものであった。宗教改革の後これらのイメージは禁止されエリザベス1世は1559年に「礼拝所から迷信と偶像崇拝のすべての兆候を取り除く」ことを要求する王室命令を出した。

http://www.guildchapel.org.uk/the-wall-paintings/

記念碑翻訳:
この記念碑的は、1708年に当協会の要請により(クロプトン騎士団のジョン・クロプトン卿によって)ヒュー・クロップトン卿 (歴代の家系の若い分家)を記念して建てられたもので、その敬虔な業績は非常に多くこの町と教区にとって恩人であり永遠に記憶されるべきものであった。彼は貧しい家政婦に100、優れた乳母と名声を持つ貧しい女性20人に結婚の際に支払われる100を贈った。彼はエイボンに石橋をかけ西端にコーズィー(丸石を敷きつめた道)を建てた。

福音書の百人隊長がユダヤ民族と宗教に対して行ったように、彼の生まれ故郷であるこの地に対する神と愛への敬虔さをシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を建設することによってより強く示し、教区教会のヘンリ7世とクロルスによって建てられた美しいトリニティ教会の礼拝堂を再建した。また、この町から数マイル以内にある橋や高速道路の補修に50を寄付した。エールズベリーからロンドンに向かって3マイル、こちら側に1マイルの大通りを作りオックスフォードの3つの貧しい小教区とケンブリッジの3つの小教区でそれぞれ年3回、5年間展覧会を開いた。また1492年に市会議員および市長を務めたロンドン市にも多大な恩恵を与えた。

彼は貧しい家の持ち主に100、その街の貧しい女性20人に100を渡し彼らの結婚の際に支払うようにした。もし、(近親者である)ある種の遺産相続人が合法的な年齢に達するか結婚する前に死亡した場合、その遺産(300以上)と負債、葬儀費用、遺産を支払った後の彼の物品・家財の残金の3分の1は、腐敗した教会の修理、貧しい家の救済に使われるよう命じました。 特に貧しい囚人を助けること、橋や高速道路を改良すること、貧しい子供たちを学校に通わせること、貧しいが正直な女性たちに分け与えること、その他の善行や施しをすること。

この慈善家の男性は1496年9月15日に独身で亡くなりロンドンのロスベリー、セント・マーガレット教会に埋葬された。
この世で金持ちになった者は善を行い、善行に富み、喜んで分配し、来るべき時に備えて自分のために良い土台を築き、永遠の命を手にするようにというセント・ポールの忠告に従った。
Go and do thow Likewise.
さあ、あなたも同じようにしなさい。

Trinity Church

ウイリアム・シェイクスピア一族の誕生、結婚、死去までを見守ってきた世界でも有名な教会。
シェイクスピアのお墓があることから絶え間なく観光客が訪れており、私もシェイクスピアのお墓詣りをしてきたので、教会の歴史などはまた別の記事でご紹介します。ちなみにトリニティ教会の内部には、先にご紹介したギルド・チャペルに飾られている記念碑のヒュー・クロプトン卿(1440-1496)の名を冠した華麗な装飾のチャペル「クロプトン・チャペル」が設けられています。クロプトン卿はホーリィ・トリニティのレディ・チャペルに華麗なお墓を建てましたが、実際にはロンドンに埋葬されているそうで。しかし彼の子孫が、レディ・チャペルは自分たちの聖堂と主張し、このチャペルはクロプトン・チャペルと呼ばれるようになりました。ここには英国内の教区教会で最も華麗で広大な(そして間違いなく高価な)ジョン・カリュー卿(1628年没)とその妻ジョーン・クロプトンの記念碑があります。

Butterfly Farm

シェイクスピアの故郷ウォリックシャーにあるストラトフォード・エイボン・バタフライ・ファームは、1985年にオープンした熱帯植物で造園された英国最大の蝶の温室です。
Butterfly Farm HP:https://www.butterflyfarm.co.uk/attraction/
こちらのバタフライファームも私は訪れていないのでご紹介を引用させていただきます。

世界中から集まった何百匹ものエキゾチックな蝶がエリア内を飛び交っており、展示されている種の多くはこの農場で飼育されているものです。 来場者は歩き回りながら行動やライフサイクルを直接観察することができます。キャタピラー・ルームでは、彼らの驚くべきライフサイクルを見ることができ、昆虫の街では、ナナフシ、カブトムシ、葉刈りアリなど魅力的で奇妙な生き物を観察することができます。蜘蛛が大丈夫な方は、世界最大のクモ、サソリのコロニー、その他、蜘蛛の巣を張り死をもたらす生き物がいるアラクノランド(クモの国)で危険な生き物に安全に接近することができます。展示の全体的なコンセプトは、死んだ標本のケースではなくできるだけ自然に振舞う生きた昆虫を見せることです。

https://www.visitstratforduponavon.co.uk/attractions/the-butterfly-farm

熱帯雨林の花々、水しぶきの上がる滝、魚が泳ぐプールの中で世界で最も美しい蝶の数々に出会うことができます。世界中から集まった何百匹ものカラフルな熱帯の蝶が周りを飛び回り餌を食べる様子を見てください。ディスカバリーゾーンでは蝶が蛹から羽化するのを見ることができるかもしれません。

Britains finest

コメント
ちなみに熱帯植物園やエコロジー環境に興味がある方は、イギリスSouth Westコーンウォールにあるエデンプロジェクトもお勧めです!
以前私も観光してきましたが、巨大なバイオームに人工的な環境を作った植物園で、昨今のSDGsを学ぶのにもとても興味深い場所です。以前別のブログに書いているのですが、そのうち記事をリライトしようか検討中です。
Eden Project HP: https://www.edenproject.com/

Jester statue

ストラトフォード・アポン・エイボンの歩行者天国ヘンレイ・ストリートの一角にある、シェイクスピアの戯曲「お気に召すまま」の登場人物であるジェスター・タッチストーンの像。地図を見ると、シェイクスピア・バースプレイスからシェイクスピアの生家に向かってヘンレイ・ストリートを歩き続けると像に突き当たるのですが、私は全く気付いておらずシェイクスピアの生家に行って引き返してしまったので、有名な中世のエンターティナー像を見逃しました。場所を知らなくても人だかりで見逃すことはないのでは?と思うかもしれませんが、もう1つ見逃した理由がありまして、このヘンレイ・ストリートにはロンドンの歩行者天国でよく見かける像のパフォーマーがいらっしゃいます。そちらに目を引かれて観光名所を見逃すという灯台下暗しをやらかしました。

Gower Memorial

ゴゥアーメモリアルは、インフォメーションセンターのすぐ目の前にあり、私も観光初日にこの場所を通っていたのですが、コーチステーションからB&Bまでスーツケースをガラガラと運んでいたので帰る時に見に行こうと思ってすっかり忘れてしまったので引用いたします。
ちなみに前の記事の「インフォメーションセンター」でこの場所の外側にあるヘンリー5世の第一幕の銅像は写真付きで紹介しております。
ストラトフォード=アポン=エイボンの町散歩~序章~

十字型の椅子の縁に座り左腕をその背にかけ丸めた原稿を手に持ち、右腕は右膝の上に置き親指と人差し指を合わせた(かつてはブロンズの羽ペンを持っていました)ウィリアム・シェイクスピアの像。足元には4つのブロンズ製の花輪がありこれらのリースの真下にある4つの印象的な台座には葉と花をあしらった4つのブロンズ・マスクが置かれそれぞれが個別にモデル化されています。仮面のうち2つは悲劇的なもの2つは喜劇的なものでこれらのマスクは正面に立つそれぞれの像の性格を象徴しておりその像は4つのテーマのうちの一つを表しています。

1.History:PRINCESS HAL – ヘンリー4世の長男で、「ハル」または「ハリー」の愛称で呼ばれ、後にイングランド王ヘンリー5世となる。歴史劇『ヘンリー四世』の登場人物(Wikipedia)。イングリッシュローズとフレンチリリーをあしらったマスク。

2.Comedy:FALSTAFF – ジョン・ファルスタッフ卿、ウィリアム・シェイクスピアの3つの戯曲、中でも『ウィンザーの陽気な女房たち』(Wikipedia)に登場する架空の人物である。ホップとバラのマスク。

3.Tragedy:LADY MACBETH – シェイクスピアの悲劇『マクベス』(Wikipedia)に登場するマクベスの妻で、後にスコットランドの女王となる。ポピーと牡丹のマスク。

4.Philosophy:ハムレット – シェイクスピアの悲劇『ハムレット』(Wikipedia)に登場するデンマークの王子。ハムレットはしばしば哲学的なキャラクターとして認識され、現在では相対主義、実存主義、懐疑主義と評される考えを説いている。蔦と糸杉の仮面

Statues – Hither & Thither:https://statues.vanderkrogt.net/object.php?record=gbwm081

Swan Fountain

白鳥の水飲み場
ロイヤル・シェイクスピア・シアターの裏側バンクロフト・ガーデンズにある白鳥の噴水。この噴水は1196年にリチャード1世が町に市場権を与えウスター司教が自治区の地位を与えてから800年を記念してストラトフォード・アポン・エイボン町議会が注文したもので、クリスティン・リーによって彫刻され1996年11月に女王によって除幕されました。噴水の中央には飛び立つ2羽の白鳥が描かれており、白鳥は何世紀にもわたって王室の保護を受けてストラトフォード・アポン・エイボンでは特別な象徴的意味を持っています。
Sculptures in Stratford upon Avon:https://www.cotswolds.info/places/stratford-upon-avon/sculptures.shtml

Bandstand

こちらのバンドスタンドには訪れていないので引用させていただきます。

ストラトフォード・オン・エイボン・バンドスタンドは、ロイヤル・シェイクスピア・シアターから川を渡ってすぐの賑やかなレクリエーション・グラウンドの中心にあり町から歩いてすぐのところです。夏の午後、ボートや白鳥、行き交う人々を眺めながら、優れたバンドの演奏を楽しむには絶好の場所です。バンドスタンドはストラトフォード・タウン・トラストによって管理されており、5月から9月までバンドのプログラムが開催されておりほとんどのバンド演奏は2:30に始まり、天候が良ければ2時間続きます。

Bandstand:https://bandfinder.uk/venue/649.php

Amercian Fountain

アメリカンファウンテンは、宿泊先のB&Bに徒歩で向かっている途中にたまたま撮影していたのですが、観光名所とは知らず撮影したのみなので引用でご紹介いたします。

噴水の正式名称は「シェイクスピア記念噴水と時計台」。1887年にフィラデルフィアのアメリカ人ジャーナリスト、ジョージ・W・チャイルズ氏から町に贈られており、ウィリアム・シェイクスピアの他にヴィクトリア女王のゴールデン・ジュビリーを記念して建てられたもので除幕式は俳優のヘンリー・アーヴィング卿によって行われました。ゴシック様式のこの噴水には時計台、馬槽、水飲み場が組み込まれており、時計の上にはシェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」に登場する妖精の風刺画が描かれています。円錐形の尖塔を持つ3段の塔で構成されており、下段には王家の紋章と星条旗で飾られた盾を持ったイギリスのライオンとアメリカのワシが描かれ、北側には水飲み場、南側には入り口、東と西には馬槽、その下には犬用のボウルがあります。中段には丸い尖塔があり上段には切妻の時計があります。この噴水は現在水を供給しておらず花入れとして使用されています。1984年に時計が修理され1987年には「アメリカ噴水百年祭」が開催されました。

Heritage Gateway

Cox’s Yard

こちらのレストランは、店名をストラトフォード=アポン=エイボンにゆかりのある人名から付けており、その立地で観光名所マップに掲載されているようです(違ったらすみません)。この記事を書くまで存在自体知らなかったのでお店HPから引用をご紹介いたします。

当店の名前は、160年以上前にこの地に移り住み駆け出しのビジネスを発展させた木材商、ジェームス・コックスにちなんで付けられました。ジェームズ・コックス・アンド・サンズは、最高級の木材を供給することで地域に知られるようになり、その多くは今日のシェイクスピアの歴史的建造物の建設に使用されています。現在、木材の取引は行っておりませんが、美味しい料理とドリンクは見逃せません。美しいエイボン川のほとりに位置し、町の中心からもすぐなので、リラックスするのにこれ以上の場所はないでしょう。

Cox’s Yard:https://www.coxsyard.com/

ギャラリー

ストラトフォード=アポン=エイボン旅行の感想
今回、ストラトフォード=アポン=エイボンには1泊2日の滞在でしたが、1番の目的はシェイクスピアのお墓参りと生誕地に行って彼の生活を少しばかり味わえればというものでした。行く前は正直1泊しても時間を持て余すのではないかと思っていましたが、いざ現地に行くとあれも見たいこれも見たいと思う場所が沢山あり、この記事を書いていてはじめて知った場所や歴史もあってこれはまた観光に行かなければ!と感じています。

私が訪れたのは2018年8月(3年半前:2022年2月現在)の夏時間でイギリスは夜20時でも昼間の日照。なので夜まで観光できるかなと日本の都会感覚でいても、当然ながら観光地は17時30分~18時には店じまいします。オープンが9~10時で実質の営業時間は8時間くらいなので、展示物やアトラクションのある観光を優先し、建物や銅像は夕飯後に見に行くと良いのかなと感じました。観光客はコッツウォルズや周辺の町とのパッケージツアーの人が多く、17時を回ると一気に人影が減ります。それを踏まえて飲食店もお土産屋さんも18時以降空いているところは少ないと想定して旅の計画をたてるとよいと思います。

コメント
今回のストラトフォード=アポン=エイボンを紹介するにあたり、インフォメーションセンターにあった地図を元に記事を書いてみようと企画しました。訪れていない場所については色々と調査しましたが、結局引用に頼ることになってしまいました。実際に訪れた場所も、改めて調べてみると知識に乏しかったなと痛感しており、やはり歴史ある建造物は事前知識がある方が感情移入もできるしもっと楽しめるのではないかと考えております。この記事が旅行を楽しむのに役立てればと思います。

2019年からのCOVID-19により、2022年現在も国内移動にも制限がかかる状況ではありますが、まだまだシェイクスピア生家やトリニティ教会などたくさん撮影しているので別の企画でご紹介いたします。

コメント

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